Hooney Got His Pen

映画の感想と勉強日記

K-POPの歴史:前史からH.O.Tまで

男性アイドルグループはいかに誕生したか

1960~1980年代の大衆音楽

 まず、K-POPが生まれる前の1960年代から1980年代の大衆音楽の状況について説明したい。

朴正煕政権による音楽の規制

 朴正煕政権(1961~1979)は音楽を規制した。1965年、放送倫理委員会による規制を開始し、「公共の秩序を乱す、美風良俗を害する、不健全な内容は放送してはならない」と法で定めて、「放送禁止歌」はテレビやラジオでの放送を禁止した。

 さらに、1972年に独裁体制である「維新体制」を成立させた後の1975年、韓国芸術文化倫理委員会が「①国家保安と国民総和に悪影響を与えるもの、②外来風潮の無分別な導入と模倣、③敗北、自虐、悲観的内容、④扇情的、退廃的内容」の歌謡曲を規制し、レコードの制作販売や公演を禁止した。

 例えば、1975年には韓国大衆音楽222曲、外国音楽261曲が禁止され、133曲が放送禁止歌となった。このように、独裁体制は大衆音楽を危険視して、規制したのである。

全斗煥政権の事前検閲

 朴正煕政権のもとで強化された音楽の事前検閲制度は、全斗煥政権期(1980~1988)においても続いた。レコード会社から発売されるレコードやテレビ・ラジオで流れる曲はすべて、全斗煥政権による事前検閲をパスしたものだった。

ソバンチャ:男性アイドルグループの登場、日本型アイドル

 1980年代、ヘッドフォンステレオとCDが普及した。これらが普及することによって、音楽聴取が個人化し、10代をターゲットにしたアイドル音楽が日本で急成長した。1985年にデビューした3人組男性グループの少年隊は日本で大人気となった。当時の韓国では日本の音楽の放送や音源の発売は禁止されていたが、非合法な手段でビデオテープが流通し、釜山など日本に近いエリアでは日本のテレビ放送を見る人々もいて、少年隊はそのような人々に人気だった。

 少年隊に注目したのが、のちにDSPメディアを設立してKARAを送り出すイ・ホヨンだった。イ・ホヨンは少年隊のようなアイドルを育成したいと考えて、1987年に消防車をデビューさせた。消防車は少年隊を模倣したパフォーマンスを取り入れ、「ゆうべの話」が大ヒットした。しかし、「通話中」という曲が少年隊の「ダイヤモンド・アイズ」にそっくりだという批判が起きた。この時期の韓国のアイドル音楽はまだ日本の模倣に過ぎなかったのである。

 

1987年、韓国の民主化

 1987年、韓国の民主化によって、大衆音楽を取り巻く環境が変化した。消費社会化によって中間階層が拡大し、人びとは新しい音楽を求めた。「表現の自由」が拡大したことで、新たな音楽が生まれる環境が整った。

・1987年、万国著作権条約(UCC)の批准

・1988年のハリウッド映画の直接配給の開始 イギリスのEMI、ワーナーミュージックなどの海外レコード会社が韓国市場での直接配給の開始

・1990年の民営放送設立自由化

 

ソデジ・ワ・アイドゥル:米国型ダンス歌手、ファンダムの誕生

 1992年、現在のK-POPの元祖ともいえるソデジワアイドゥルがデビューした。ヒップホップとロックを融合させた「僕は知っている」でデビュー。激しいダンスを踊りながらラップを中心に歌うという当時としては斬新なスタイルだった。当時のアメリカで流行していたヒップホップ音楽を取り入れ、新しいサウンドに載せた曲は若者世代の圧倒的な人気を得た。10代の若者を中心にしたファンダムが形成され、ファーストアルバムは180万枚を売り上げた。ソデジ・ワ・アイドゥルの人気は社会現象となった。青少年に対する影響力は絶大であり、「文化大統領」とも呼ばれた。

 ソデジ・ワ・アイドゥルの音楽はアメリカのヒップホップが有していた批判精神や政治的・文化的メッセージを歌詞に織り込んだ。「教室イデア」では韓国の学校教育の現実を厳しく批判し、「渤海を夢見て」では南北統一を歌うメッセージを歌った。

 1995年、社会状況を織り込んだ歌詞が問題となった。三豊百貨店崩壊事故(1995年6月)を歌った「時代遺憾」である。公演倫理委員会は「過激な歌詞で、現実を否定的に描いた」という理由で、収録禁止・歌詞の修正を命じた。ソ・テジはこれに反発し、歌詞のない伴奏のみのバージョンを発表した。これが結果的に、国家権力によって歌詞が消されたという強いメッセージとなり、ファンをはじめ多くの人々が歌詞検閲制度を批判した。民主化が進んでいるように見えた韓国社会において、いまだに独裁時代、さらには植民地時代から続く制度が機能しているという事実は、若い世代にとって受け入れがたいことだった。

 1995年11月、ファンの女子高生が野党第一党金大中代表に手紙を送り、「時代遺憾」をめぐる問題で国会で対処してほしいと懇願した。その結果、金大中たち野党政治家は「ソデジ・ワ・アイドゥル問題真相調査団」を結成し、1996年6月には事前審議制度が廃止された。ソデジ・ワ・アイドゥルは1996年6月に人気絶頂のうちに解散したが、制度廃止を記念して、歌詞が入った「時代遺憾」が収録されたアルバムを発売した。ソテジワアイドゥルの人気は政治を動かし、韓国語ラップとヒップホップ文化を若者世代に定着させる役割を果たした。

 

H.O.T=K-POPアイドルの誕生、アイドル第一世代

1995年:イスマン、SMエンターテインメントを設立

1996年:H.O.Tのデビュー High-five Of Teenagers

10代の女性がターゲット、主に中高生世代

アイドルであると同時に、ダンス歌手のグループを目指した

消防車のような日本型アイドル+ソデジ・ワ・アイドゥルのようなアメリカ型ダンス歌手の融合=韓国型ダンスアイドルとしての「K-POPアイドル」の誕生

 

ラップ中心の曲作り+華麗なダンスパフォーマンス

 

ファーストアルバム『We Hate All Kinds of Violence…』

 

「戦士の後裔」:ヒップホップのとがった歌詞とパフォーマンス 社会問題化していたいじめをテーマにした、社会的メッセージの強い曲

「キャンディ」:キュートなアイドル的パフォーマンス

H.O.Tは「ハイティーンスター」「10代の偶像」と呼ばれた

 

参考文献

金成玟(2018)『K-POP 新感覚のメディア』岩波新書

山本浄邦(2023)『K-POP現代史』ちくま新書