Hooney Got His Pen

映画の感想と勉強日記

黒田龍之助『ロシア語だけの青春』

 そもそもミールでは、週二回の授業を受けるだけでも、かなり大変である。 授業中の緊張もさることながら、予習と復習をしっかりおこなうには、授業のない日も、家で毎日のように勉強しなければならない。かつて非常に熱心な生徒が、二クラス並行して、つまり週に四回もミールで学んだことがあったという。その人は非常に上達し、後にロシア語通訳になったそうだ。

 わたしには、週四回も授業を受けるほどの、余裕も勇気もなかったが、それでも授業以外に、語彙を増やすことだけは、ひとりで試行錯誤していた。ロシア語基礎語彙集をあれこれ買い集めては、自分で単語帳を作り、それを覚えていく。単語がひとつでも増えれば、それだけ表現の幅が増えるではないか。

 すべては、ミールの授業でうまく会話するためだった。

(44ページ)

 

NHKの衛星放送で世界のニュースを紹介する 番組を見ていて、それがロシアのニュースになると、ときどき右下に「通訳: 筆塚真理子」という名前を見かけた。ほほう、マリコ社長、相変わらずNHKで活躍しているんだね。 通訳業から離れて、大学教師になったわたしは、懐かしくも嬉しく思っていた。 だから突然の訃報に接したときは、ことばもなかった。 確か五十二、三歳だったと思う。

 わたしが二十一世紀になって泣いたのは、今のところ、このときだけである。

 お通夜に行く途中、多喜子先生に会った。 「そうね、黒田さんは筆塚さんと仲が良かったですものね」

 そうなんです。しかもただ仲が良いだけじゃなくて、彼女はいろんなことを教えてくれた、お姉さんみたいに大切な人だったんです。

 その頃わたしは、テレビ講座に講師として出演することが、すでに決まっていた。NHK局内でマリコ社長に会えるんじゃないかと、密かに楽しみにしていたのだが、それも叶わぬ夢となった。

 筆塚さんはわたしの人生に突然現れ、途中で忽然と消えてしまった。

(73ページ)

 

 そもそも外国語学習は、教師から生徒への一方的な知識の伝達である。先生は常に正しく偉い。 これがけっこうストレスなのだ。そのストレスを発散するために、生徒は質問を仕かけてくる。

 ところが「標準ロシア語入門』は市販されている教材である。 必要な説明はすべて書いてある。質問なんてありえない。それなのに質問するのは、何か別の理由がある。

 自分を振り返ってみてもそうである。 未熟な時期は、つまらない質問を連発していた。それがなけなしのプライドだったのかもしれないだがあるとき、それが間違っていることを悟る。初級段階で質問は不要。そう悟ったときに外国語が伸びた。 外国語学習では、頭を一時的に空っぽにする必要がある。もちろん、永遠に空っぽでは困るのだが。

 疑問に思うことが悪いわけではない。ただそれは将来に解決するとして、いまは発音練習と暗唱に努めてほしい。すくなくともミールではそうしてほしいのである。

(139-140ページ)

 

 わたしはこのちょっとした事件を通じて、大学は見返りを求める場所であることを学んだ。 見返りとは単位だったり、好成績だったり、延いては卒業だったりするが、とにかく大学生は、そういうものを求めて授業に通うのである。誰もが分かっていることではないか。 知的好奇心などと、綺麗ごとをいってはいけない。大学で教える者は、現状をしっかりと把握する必要がある。

 大学だけではない。世間だって、外国語学習には見返りを求めるのが、ふつうとなっている。その最たるものが資格試験だ。外国語はスポーツのように、級やスコアを競うものになってしまった。資格がなければ、自分の実力が示せない。外国語能力は、人に見せびらかすものらしい。 あるいは留学して、現地に長期にわたって滞在したことを盾にとり、自分の能力を誇示する。

 人はなんらかの見返りを求めて、外国語を学ぶ。

でも。

ミールには見返りなんてなかった。

 大学みたいな単位はない。 多喜子先生に指定されるまま、 クラスに出席する。 発音が悪ければ指摘される。 文法が間違っていれば直される。 期末試験で成績が悪ければ、同じクラスをやり直し、よければ上のクラスに上がり、そこでさらに厳しい授業を受ける。

 そこに何があるというのか。

 お金が儲かるわけではない。仕事が見つかるわけでもない。 資格が得られるわけでもない。そもそも卒業なんて果たしてあるのか。いつまで経っても先があり、最終クラスの研究科は、ほぼエンドレス。 外国語の勉強は、無限に続くのである。

 それが当たり前だと、わたしは信じていた。

 思い返せば、ミールは本当に不思議な空間だった。

 なんであそこまで、熱心になれたのか。授業は厳しくて、途方に暮れたこともあったのに、基本的にはいたって呑気で、いつもルンルン気分で通っていたのだから、世話はない。

 東一夫先生と多喜子先生に認められたかったのか。

 それはある。

 どうして?

 それはお二人のことを、「本物」だと信じていたからである。そしてわたしは「本物」に、限りない憧れをいだいていたのだ。

 ところが大学では、誰もが「本物」を求めているわけではない。出席というポイントを集めて単位を取り、単位というポイントを集めて卒業する。それが大学というシステムだ。 そして大学では、そのシステムに相応しい教育をしなければならない。

 非常勤講師を始めた翌年、わたしは就職した。 国立理系大学の専任講師として、第二外国語のロシア語を教えることになったのである。これから教える理系大学生にとって、ロシア語は単なる選択必修科目にすぎない。わたしはそれにふさわしい教育を目指して、工夫することを考えた。ミールとは違う方法を模索しなければならなくなったのである。

 就職に伴い、わたしは十二年にわたって通い続けた、ミール・ロシア語研究所を去ることにした。この先、わたしは 「本物」のロシア語を習うこともなければ、教えることもない。すくなくとも当時は、そんなふうに考えていた。

 ロシア語が勉強したいだけのヘンな高校生は、二十九歳になっていた。

(163-164ページ)