Hooney Got His Pen

映画の感想と勉強日記

青来有一『爆心』

「妹はこのあたり一帯が火の海になった時、そこをくぐりぬけて逃げてきたとです」

「火の海?」

「原爆の時のことです。あれは城山の母の実家に、妹と弟と一緒に帰っておりましてね。そこで被爆しました」

「いくつの頃なのですか」

「あれは、まだ七つで、下の妹と弟は四つと三つの年子でした。家が倒壊して、祖父母も、一緒におった妹も弟も下敷きになったようです。そこに火が出てしまい、どうにもできんやったらしい。あれは気丈で、錯乱したお母っさんの手をひいてなんとか逃げてきたとです」

ぼくはなんにも言えはしなかった。爆心地あたりで暮らしていると今でも、時々、そんな話を聞くことはあるが、もう、ずっと前の話であり、キリシタンの弾圧の話と同じで、ぼくには土地の昔話でしかなかったのだ。

「お母っさんは怪我もひどく錯乱しておって、どこをどう逃げてきたのかも、ようわかりませんでしたが、うわ言に娘と息子の名前を呼んでおりましたから、下敷きになってそれを助けようとしておったことはなんとなくわかりました」

「妹さんはどう言っていたのですか? 一緒に逃げてきたのでしょう?」

「妹はなんも言わんとです。叔父と叔母が確かめたんですが、妹はとうとう口をへの字に結んで、なにを見てどうして来たのか、なんも言いませんでした。妹は死ぬまでなんも言わんでしたよ」

青来有一『爆心』文春文庫、2010年、252-253ページ

 

 私の戸籍の父母の氏名欄は真っ白である。父の欄にも、母の欄にもその名は記載されてはいない。私の過去は原子雲の下に消えてしまった。

 被爆直後に私は原子野で拾われた。私を拾った女性は私の養母となったが、当時のことをほとんど覚えてはいなかった。無我夢中で逃げる途中で瓦礫の中で泣いていた私を抱き上げ、荒縄で背中にくくりつけて穴弘法から金比羅山を尾根づたいに夜通し歩いて逃げたという。 

 私はほんとうの名前も生年月日も知らない。私がだれでありどこからきたのか、六十年以上の時が流れて私にはもう調べるすべもない。わかっているのは私は昭和二十年八月九日十一時二分の白い光の中から現れたことだけである。

 私の戸籍上の誕生日はその日になっている。

同、272ページ

 

「あんたも被爆経験を書いてみる気はなかね?」と瀧口さんに誘われたのは、確か昨年の九月だったと思います。 生まれたばかりの乳飲み子で拾われたとですよ、なんも覚えておりませんと言って、私はそれまで説明していた見積書を封におさめました。 矢の平の高台にある瀧口さんの家の小さな庭の片隅には彼岸花が点々と咲き、眼下には港の青い海と造船所のドックがなかばかすんではいましたが、良く見えました。

 「あんたも被爆者でしょうが」

 縁側に座りこみ、お茶をすすっては彼は一語一語をゆっくり話します。

 「手帳は持っておりますが、経験として記憶に残っておるものはなんもありません」

 私のこの眼で被爆の様相を見たのかもしれませんが、私にはなんの記憶もないのだからどうしようもないではありませんか。その当時のことを考えると戸籍の父母の氏名欄の真っ白な空白しか私には思いつかず、かなり執拗な瀧口さんの依頼を私は少しばかり理不尽にも感じはじめていました。

同、281ページ