Hooney Got His Pen

映画の感想と勉強日記

修士課程修了後にどうやって勉強を続けるか

このブログも始めて4年半が経つのか。途中留学ブログを始めてみたりしたけど、最近はこちらに戻ってきた。

4年半で148エントリを書いたらしい。多いのか少ないのか分からないけど。

最初に始めたモチベーションが何だったかもうよく思い出せないけど、「文章上手くなりたい」というのは確実にあったと思う。最初の頃よりはマシにはなったと思うし、少しは分かりやすく書けるようになった気もするけど…これもよく分からない。

せいぜい進歩したかなと思うのは、適当に何も考えず書くようになったことくらい。どうせ練ってから出そうとしてもほとんど変わらないし、それならその時に考えたことをさっさと書いてしまった方が後で自分が読み返すのに便利なことに気づいた。

ここ2ヶ月くらい、大学院の3年間を振り返ろうと思っていた。色々自分で頭の中では考えるんだけど、何かしらに残しておきたいなと。

修士課程、日本での2年間、オランダでの1年間。「行ってよかった」とは確実に言えるけど、もっと色々やれたような気もしないでもない。というか、自分はあんまり頑張れない方のタイプなんだということに気づいた。

大学院では、それこそいつ寝てるのか?という人が結構いて、院生室で鬼のように凄まじい集中力で研究してる人がいた。真似できない、と思った。そこまで追い込めないんだよな。1日で本当に集中してる時間は合計5時間くらいしか保てないことが分かった。1時間毎にTWICEの動画とか見てしまう。

あと、1週間毎日も頑張れない。大学院だと毎日やってる人が多い印象だったが、自分はしっかり週休2日取っていた。休みが1日の週もあったけど、休みの日は目一杯思いっきり休んでいた。電車の行き帰りは何らかの娯楽に触れたいと思ってずっとドラマ見るか本読んでたし、週に3回以上は本屋に行っていた。よく遊んでいた方だと思う。休むか遊ばないと、そもそも勉強とか研究やる気も起こらなかったし。あと、よく人と長時間話していた。なので、けっこう楽しい大学院での日々だった。

でも、1年目は結構ずっと辛かった。英語で論文を読んだことはほとんどなかったし、読んだことのあるのはせいぜいニュース記事とか10ページくらいの雑誌論文とか。何本も英語論文を読んだり、英語の本を読む課題があって、正直途方に暮れた。これは割とずっとそうで、2年間くらいはかなりキツかった。大変なところに来てしまった、と本当に自信を失った。

そんなところにオランダへ留学に行ったのである。授業は全て英語、だから心配しないで!と言われても、その英語が難しくて困っているのだ。当然、授業にはなかなかついていけなかったし、悔しい気持ちはずっと続いた。半年、ですらなく、8ヶ月くらい経ってからようやく、議論とかプレゼンテーションとか、ペーパーを書くのとかに慣れてきた。留学は残り2ヶ月を切っていた。

学部の頃に留学すればよかった、とも思ったが、学部の頃は転部やらでそれどころではなく、そもそもTOEFLのスコアも持ってなかったし無理だったのだ。

なんかすごい後ろ向きだけど、このままいきます。

で、大学院に来てよかったこと。これはやっぱり「勉強の仕方が少しは分かった」ことかな。大学院では、外交史とか国際政治学を主に専攻した。修士論文は歴史的な観点からのものだった。その過程の中で得た知識とかはもちろんあるんだけど、勉強の方法が少し分かったというか。それも自分の分野だけだけど。論文とか本はだいたいこういうノリで読むんだな、とか。こういう風に検索すれば欲しい情報が得られるんだな、とか。外交関係ではここのシンクタンクとかを見ればいいんだな、とか。そんな感じ。3年間かけた成果としてはささやかすぎると思うけど、自分にはそれくらいの時間がかかった。

それで、これからの勉強ということを色々考えてもいた。就職してから、どうやって勉強を続けるのか。続けられるのか。これは大きな悩みの種だったけど、ここ半年くらい修士論文に苦しめられる中で同時に、やってること自体は大学の外でもある程度できるなという感触を得た。図書館も公立図書館を使えばいいのだし、勤務先近くの大学図書館も利用登録すれば使えるだろう。

ひとつだけネックなのは海外の論文とかを大学データベースで見れないこと。ただ正直言うと、自分の大学のデータベースでも見れない英語論文は多かったのだ。結局は相互利用サービスで有料で手に入れていたし。

あと、欲しいと思う論文は、今ではネット上でPDFで見れるものも多い。それこそ、欧米圏の研究者のツイッターをフォローしておけば、最新の情報はけっこう入ってくるし。あと、直接メールすればすぐに返してくれる人もいたし。要するに、何とでもなるのだ。

こんな感じで、自分の勉強してきた範囲であれば、かなりの程度は勉強を続けられることは分かった。

問題は、自分の全く知らない分野とか未知の分野に対して広がりが無くなってしまうことである。これは難しい。

そう思って、というか単に好奇心で、この3年間くらいは放送大学のテレビ放送をたまに視聴していた。

日本政治外交史とか国際政治学とかが主だけど。

それでも、たまに世界文学の歴史とか、経済学史とかそういう授業を見ると、教科書さえ用意すれば、学部初年次レベルであればある程度は理解できそうだと思った。もちろん、それ以上は自習はキツいと思ったけれど。ただ正直、それ以上やるほどのモチベーションを保てる、あるいは興味のある分野は他にあんまりないので… こう言ってるのあんまり良くない気がするけど。まあ、放送大学の授業は普通に娯楽としても面白いので、これからも視聴は続けたい。あんまり真剣にやっても大変だから、これまでのようにつまみ食いのような形での視聴になるとは思うけど。

そう、それと最近は友達2人とSkypeで読書会をやっている。前回とかは、2人がその時々で関心のある本を適当に何冊かあげてもらって本を選んだ。今回は自分が提案した。こういう読書会をやれば、とりあえず約束の日までには読もうとなるし、議論のために関連して色々調べたりもする。それまでほとんど関心のなかった分野の本を読んだけど、どれも面白かった。

ネットワーク理論とかは名前も知らなかったし、フロイト精神分析とかはなんとなく避けてたけど、避けてたのはちょっともったいなかったなと。精神分析って最近の心理学では使われなくなった、とかよく聞くんだけど、それでもひと昔前の人文系の本を読むにはやっぱり必須教養だと思うし、今の本でも枠組みを使ってるものも多い。批判するにせよ、分かっているに越したことはないし、あと自分が興味のある批評家とかが積極的に使ってると友人に教えてもらい、それならやっぱり知っておくべきだろうと思った。あと何より、説明の華麗さというか、綺麗になんでも説明してしまえる点が、とりあえずは気持ちいいし。その点がまさに批判を集めたり、さらには使われなくなった理由の1つとは思うんだけれど。あと、映画批評の世界にもかなり影響あったんだなと。どっかで聞いたことある話だとか思ったのは、誰かの映画批評で繰り返し読んだことのある枠組みだったから。やっぱり知っておいた方がいいな。映画を見るのと同じくらい映画批評読むのは好きなので。

そういえば、思い出した。大学1.2年くらいの時にはけっこう背伸びをして文藝批評とか評論を読もうとした時期があった。全然分からなくてやめてしまったけど…。それと大学院に入るための勉強とか、大学院入ってからは専攻の論文とかを読まないといけなくなって、そういうものにはめっきり手を出さなくなったのだった。

それで、本当に最近、たまたま読み返す機会があって読み直すと、ちょっと分かるようになっていた。単純に知識がついたのと、それよりは日本語を読めるようになった、というのかな。それがたまたま論理的で読みやすかったのかもしれないが。単純に、エンタメとして面白かったし、普通にこれからはちょくちょく読んでいこうと思った。

ということで今後は、専門の勉強は自分で続けていきつつ、読んで面白いと思うようなものを友達と読んで、さらに感想を言い合うっていう二本立てでいきたいなと思ってます。なんか自分の予想に反してすごい真面目なエントリになりました。