Hooney Got His Pen

映画の感想と勉強日記

外国語を勉強すること

最近はまあ昨日の日記のように修士論文の準備で忙しいですが、息抜きに読書はたまにしてます。

 

hunihu2.hatenablog.com

 

先日読んだ本がとても興味深くて、しかもいちいち共感しきりだったので、少しだけ感想を。

ポケットに外国語を (ちくま文庫)

ポケットに外国語を (ちくま文庫)

 

黒田龍之介『ポケットに外国語を』という本で、エッセイ集といったところか。著者はロシア語が専門の言語学者。そうと言いつつも、大学で英語を数年間教えたり。さらに、チェコ語リトアニア語、ウクライナ語、韓国語、スウェーデン語、ドイツ語、フランス語、ベラルーシ語等々…ほかの外国語を数多く学んだり。さらには大学の先生を辞めて執筆活動に専念したり。これらの顛末が面白い本書だが、同時に外国語学習に関する楽しいエッセイにもなっている、

著者は「 何か国語できるんですか?」という質問をよく受けるが、自分でもきちんと把握していないし、しかも「~語」という分け方自体が恣意的である(例えば、方言の存在)し、また「できる」が何を指すのか不明であり著者のそれぞれの言語の程度もまちまちなので、そういう数え方はしないのだという。エッセイを読んでると相当な種類の言語を勉強されているようなので、その本人が言うと説得力があるし何よりかっこいい。

著者によると、外国語の勉強において大切なことは「やめないこと」だという。「外国語の勉強にはとにかく継続することが大事だ」とはよく聞くが、「やめないこと」とは初めて聞いた。著者は専門のほかにあらゆる言語に手を出して学んでいる。それぞれの進度はまちまちだったりしながらも、とにかくも学ぶことはやめない。

この姿勢にはとても共感した。というか、「マスターする」みたいな姿勢で勉強しても絶対息切れしてしまう。どうせいつまで経っても分からない単語が出てくるんだから、どうせなら末永くじっくり向き合った方がよい。それが著者の提唱する外国語学習に向かう態度である。これは一種の諦めとも言えるが、こういう「ポジティブな諦観」は必要だと思った。もちろんその一方で、外国語学習における暗唱練習の大切さなどを説く場面もあり、これにも納得であった。

しかも外国語を勉強するときに最も大事なのは、楽しく勉強することである。というよりも、著者は外国語を勉強するという感覚すらあまりないという。楽しくドラマを見たり、本を読んだり、歌を歌ったり。これらを自然に楽しくやっているだけなのだろう。

個人的に、この感覚は非常によく分かるなと思った。僕は英語と韓国語を勉強しているが、これも「勉強している」という感覚はない。

英語でドラマや映画を見るのは当たり前になったし、英語字幕で見るときもけっこうある。これも勉強というものではなく、英語字幕でしか見れない映画を見たい時にそうせざるを得ないのだ。レンタルや購入ができない映画が見たい時などはそうするしかないので仕方ない。映画を理解しようと必死に集中して見るうちに、それは自然とリスニングの勉強にはなっているのだろうが、勉強しているという感覚はない。

映画もそうだが、国際政治の最新の話題などを知りたい時は英語で情報を取るしかない場合も多い。英語でニュースを読んだり見たりもそうだが、最近はポッドキャストを活用している。

最近、論文の中でしか見たことがなかった国際政治学者2人が対談しているポッドキャストを見つけ、かなり興奮して聴いた。その2人の論文は読んだことあったので内容は想像できたが、それでもやはり対立する立場の学者同士が対談しているのを聞くのはスリリングだった。これも内容を確認したかったから書きおこしテキストを読んだりもした。分からない単語を調べるときもあるが、面倒なのでいちいち調べることはしない。ポッドキャストを聴き終わった時に、大体の意味がわかっていればいい。

一方で韓国語は、最近好きになったK-POPのアイドルグループの情報はやはり韓国語が圧倒的に充実している(Iz*One、TWICE、BLACKPINK、Red Velvet など有名どころです…)。そのグループのリアリティ番組もリアルタイムでかつフルで見たいので、そうなると必然的に韓国語で見るしかない。しかも言ってることを理解したいので、聞き漏らさないようにかなり集中して視聴している。これも韓国語の勉強になっているといえばそうなのだろう。

ところで、僕が勉強をやめてしまった外国語の一つに中国語がある。学部初年次から一年半ほど勉強したが、そのあと転部したこともあって勉強をやめてしまった。もったいなかったと今では何とでも言えるが。思い返すと、あまり楽しいと思えなかったことが大きい。単語テストや暗唱テストに追われるのが楽しくなかったのもあるが、その頃に大学の教養課程で受けた国際関係論の授業が面白すぎたのである。それがきっかけで転部を決意し、結局は大学院にまで来て勉強を続けることになった。そのことは良かったと心底思ってるし、転部した先の勉強はとても刺激的で楽しかった。

それでもやっぱり中国語の勉強を途中でやめたのは、もったいなかった。この本の趣旨で言うと、早めに何かしらの娯楽というか、楽しむ方向に向かっていけばよかったなと。まあ、今からでもやり直せるのはやり直せるのだが、機を逸した感はやはり否めない。

そういえば、この本を読んでいて大学に入る時に友人に言われた言葉を思い出した。その友人には「外国語なんか専攻してどうするの?語学学校にでも行けばいいじゃん」と言われて、かなりショックを受けたのだった。うまくその場で言い返すことはできなかったが、本書を読んでいれば何かしら言い返すことはできたかも知れない。別にわざわざ言い返す必要もないが、少なくとも悔しい思いはしなくて済んだかも。

だからこそ、「〜語なんて学んで役に立つの?」という趣旨の暴言に晒されやすい外国語専攻の人には必読だと思った。何かしらの外国語を勉強している人すべてに向けての賛歌とも言える本でした。いい本です。

同じ著者の本で、以下のものを本屋で見つけたので早速購入した。時間見つけて読もう。

 

物語を忘れた外国語

物語を忘れた外国語