そんな彼だが、ある日突然、農作業中に謎の声が聞こえるようになる。
「それを作れば、彼は来る」
「それ」が野球場であることを悟った彼は、農場の半分を潰し野球場を作ってしまう。ここから、不思議なことが起こり始める。「シューレス・ジョー」と呼ばれる、往年の野球選手が野球場に現れるのだ。彼は数十年前に死んでいるし、幽霊なのかもしれない。しかも、ジョーの姿を見ることができるのは家族だけである。
また、謎の声が聞こえる。
レイはその声に従って、行動し始める。果たして、彼の運命は……。
1960年代のアメリカ
ケビン・コスナー演じる主人公とその妻アニーは、60年代の人間である。
娘の小学校で「オズの魔法使い、アンネの日記は悪書だ!図書館から追放しろ!」と言い出す保護者にアニーは激昂し、「ナチズムを追い出せ!スターリンと同じことをするの?アメリカの憲法を忘れたの?人権宣言を忘れたのか!」とまくしたてる。
主人公レイと妻アニーには、このカウンター・カルチャーの精神が如実に見てとれるのである。広大な農場でのんびりとした日々を過ごしているのも、束縛されない自由な生き方を求めてのことである。(島田裕巳『映画は父を殺すためにある』2012、ちくま文庫)
『フィールド・オブ・ドリームス』は、アメリカ的な"父殺し"、あるいは「父との和解」を明確に描いた作品だといえる。
また、1960年代を考える上でもいい題材になるのではと思う。
と、参考文献を探してみるとこんなものが。図書館にあるので、借りて読んでみよう。読んだ感想・まとめは、また後日。