Hooney Got His Pen

映画の感想と勉強日記

羅生門

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10か月前のレポート

羅生門』と聞けば、言わずと知れた芥川龍之介の短編小説である。観賞前、映画も原作と同じ内容なのかと誤解していた。そして、驚いた。羅生門が重要な舞台となってはいるが、芥川の他の短編『藪の中』をベースにしているそうで、ストーリーは全く異なるのである。

 肝心のストーリーは何重にも入り組んだもので少し難解であるが、非常に興味深いものであった。ある殺人事件があり、その目撃者や当事者が次々に証言していく。しかし、証言はどれもかみ合わない。それぞれが自分の都合のいいようにとらえて、事実を捻じ曲げているようなのだ。ある証言の後、それが映像化されていく。当事者が語った後、その様子が映像として再現されていくのだ。

 ストーリーが興味深いといったのは、人間のエゴがこれでもかというほど描かれていて、それが映画を観る者を引き付けるからである。しかし、観賞後に残るのはそれだけではない。汗がしたたる筋骨隆々な盗賊の男、美しくそして醜い女(妻)、頼りなげだがどこか感情移入してしまう侍(夫)。これらの映像が、残像のように頭から離れない。彼ら彼女らの喜怒哀楽、息遣いが聞こえてくるかのようだ。

 

このレポートを書いたのは、約10か月前である。今日、勉強のためにある本を読んでいたら次の一節が出てきた。

羅生門』=国際政治

このように国際政治においては、ともすれば関係者の同意に基づく価値配分の前提自体がはなはだ論争的であり、解釈の余地は大きい(Jervis1978,185)。この意味で 、国際政治は「羅生門」(『今昔物語』に題材を得た黒澤明監督の1950年の映画作品。殺人事件の解釈をめぐって、当事者の証言はことごとくくい違う。このように真相は藪の中にある状況こそ、まさに「羅生門」の世界である)の世界とも言える。

石田淳「第3章 対外政策の選択」中西・石田・田所編『国際政治学』2013年、有斐閣、126ページ

 石田淳はこれに続いて、法制度化の進んだ国内政治は「だれが関係者か、何が関係者間の争点か、そして何が個々の争点に関する現状か」については解釈が定まっているという。国際政治は国内政治と比較してこれらの解釈がそもそも論争的である。

石田の言うように、『羅生門』では当事者の証言はひたすら食い違うし、真実は結局よくわからないままだ。しかも混乱するのは、裁判における証言がそのまま映像化されるから、観客はどれが真実なのかいっそう分からなくなる。しかも、「政治の構図(その関係主体、争点、現状)の認識それ自体が、政治性を帯びかねない(同書p.125)」のだ。『羅生門』を観ていて混乱するのはこの点だったし、ある意味で「正しい混乱」だったのだろう。

 

国際政治学 (New Liberal Arts Selection)

国際政治学 (New Liberal Arts Selection)