今週のお題「読書の夏」
E.H.カー著『危機の二十年―理想と現実―』(原彬久訳)岩波文庫、2011年
E.H.カー(1892‐1982)は、H.J.モーゲンソーと並び、国際政治学の現実主義(リアリズム)学派を代表する国際政治学者であり、その先駆者といえる。カーは、1916年にイギリス外務省に入って以来20年間、外交官として活動した。その後、大学に移ったカーは本書を1939年に出版する。外交官から学者になって、自らの実践を理論として昇華したのが本書『危機の二十年』である。
ちなみに、同じ岩波文庫からかつて出ていた、井上茂による旧訳版の副題は「国際関係論序説」であった[1]。井上訳の副題からは国際政治学の入門書であることが読み取れるが、基礎文献とはいえ、本書の議論のレベルからいって初学者にはおそらくかなり難解なものだと考えられる。それに比べて、本訳書では副題に「理想と現実」とあり、2011年訳書版にある原彬久の訳者あとがきによると、カーは原著出版にあたって表題を『ユートピアとリアリティ』にするつもりだったが、出版社との相談の結果『危機の二十年1919-1939』にしたようである。このエピソードに加え、「序説」とつけるのは本書が簡単に読み解けるとの誤解を生むと私は感じたことから、訳者の原彬久が副題を「理想と現実」にしたのは納得がいくし、こちらの方が本書の意図をよりよく伝えていると思う。
まずは本書の書かれた背景、あるいは国際政治学の誕生の経緯を確認したい。
本書第一章「学問の出発」にあるように、「国際政治学は、大規模かつ悲惨な戦争から生まれた」[2]。ここで言う戦争とは、第一次世界大戦(1914‐1918)を指す。第一次世界大戦は、経済力・政治力、そして国民の心理までをも動員する「総力戦」をその特徴とし、つまりそれまでの戦争とは質的に全く異なるのである。こうして、甚大な被害を負った一般大衆の間に、このような戦争を二度と起こさないよう平和への願望が生まれる。そして、「戦争を防止するという熱い願望こそが、この学問のそもそもの進路と方向をすべて決めたのである」(p.34)。
カーがここで指摘するように、国際政治学の出発点はそもそもユートピア的であった。つまり、国際政治学はその始まりにおいて、「目的的であり理想主義的であった」[3]のである。
国際政治学において、1920年代から30年代前半までは理想主義(ユートピアズム)の時代と言われる。それは、先に挙げた一般大衆の平和的願望に加えて、第一次世界後のヴェルサイユ体制が相対的に安定したことと、平和へのアプローチが数多く見られたことがあげられる[4]。例えば、国際連盟の設立(1920年)、国際紛争の平和的解決に関するジュネーブ議定書(1924年)、ロカルノ条約、パリ不戦条約(1928年、「ケロッグ・ブリアン条約」ともいわれる)などである。これらは諸国民の平和願望にこたえるものであったし、その後の平和を予感させるものであった。これらのことから、国際政治学の出発点はそもそもユートピア的であったといえるのである。
しかし、1929年の大恐慌から、それまでのある種ユートピア的な政治状況は一変していく。1931年9月には満州事変が起こり、1933年1月にはナチス・ドイツ政権が誕生する。同年、日本とドイツは国際連盟を脱退する。そして、1936年10月に日独防共協定、翌年11月には日独伊防共協定が結ばれた。ヴェルサイユ体制は崩壊し、第二次世界大戦へと突き進んでいく。
つまり、ユートピア的構想は挫折に終わったのである。そこで、国際政治学は次の段階へと発展する。
「学問の発展段階では、思考が願望に与える衝撃は、この最初の非現実的な構想が挫折した後にみられるものであり、それはとりわけユートピア時代の終焉を画するものである。すなわち願望にたいするこの思考の衝撃こそ、一般にリアリズムと呼ばれるものである。」(p.38)
こうして、理想主義へのアンチテーゼとして現実主義(リアリズム)が生まれるのである。カーは本書を通して、リアリズムの観点からユートピア的思考を批判していくが、その価値を一概に批判しているわけではない。先に引用した部分に続いて、すぐにこう付け加えるからである。
「こうしてユートピアとリアリティは、政治学の両面を構成するのである。健全な政治思考および健全な政治生活は、ユートピアとリアリティがともに存するところにのみその姿を現すであろう。」(p.39)
カーが本書の早い段階で、ユートピアとリアリティの整合を志向していることが分かる。そして、「あたかも天秤のように均衡を得ようとして常に揺れており、決して完全にはこの均衡に達することはない」(p.40)ユートピアとリアリティとは、そもそもどのようなものであるか。カーはいかに両者を概念化しようと試みたのか。以下にみていく。
まず、カーにおいて、ユートピアニズムの特徴は「根本的に現実を否定する可能性を信じているし、また彼(ユートピアン―引用者注)は意志の働きによってリアリティをユートピアに変えることができると信じている」(p.41)ことである。つまり、ユートピアニズムにおいては人間性が楽天的に信仰される。言い換えると、ユートピアンは「人間の良心を理性の声と同一視するという点で、本質的には合理主義」(p.62)なのである。
次に、ユートピアニズムの理論的背景を確認する。
カーによると、ユートピアニズムは「世論の神格化」と「利益調和説」に支えられている。
「世論の神格化」とは、「世論は結局のところ必ず勝利」(p.76)し、「世論は常に正しい」(同頁)と考えることである。これは19世紀以来の自由主義の伝統的な考え方であるが、カーのいうように、初期功利主義者たちが考えた世論とは「教養ある開明的な」人々のものであり、現在のように大衆のものではなかった。そして、1859年の『自由論』においてJ.S.ミルは早くも「多数の専制」を問題にしているのである(p.68)[5]。しかし、「世論の神格化」は国際政治の分野に再び持ち込まれた。国際連盟という考えそのものが、このような信念に基づいていたのである(p.81)。そして、この強固な信念によって、国際連盟は制裁の機能を持たなかったといえる。
一方「利益の調和」とは、「個人はみずからの利益を追求すれば、共同体の利益をもまた追求することになるのであり、さらに個人が共同体の利益を追求すれば、自分自身の利益をまた追求するということ」(p.98)である。この利益調和説が国際政治に援用されることによって、「一九一八年に至るまで、国家はそれぞれ独自のナショナリズムを発展させていけば、国際主義の目的を推進することができる」(p.105)と信じられたのである。
なぜ、ユートピアニズムにおいて「利益の調和」が進んで受け入れられたのか。カーによると、「国際政治においては、調和実現の役割を担う組織的な力はみられない。だからこそ、自然調和を受け入れようという誘惑はとくに強くなる」(p.113)のだという。つまり、集権的な政府がある国内とは違って、いわば無政府状態の国際政治においては利益調和説を信じる誘因が強かったのである。
また、国際関係における「利益の調和」は「すべての国家は平和に同一の利益をもっていること、したがって平和を阻もうとする国家はすべて、理性も道義もないのだ」(pp.113-114)という考えに立っていた。カーはこの考え方に対して、レーニンの発言を引用しながら皮肉るのが興味深い。「平和はそれ自体無意味な目標」(p.115)とまで喝破している。確かに、どの時代のどの独裁者であっても、「平和を願うか」と尋ねられ、「否」と答えるものはいるまい。むしろ、自国の平和を守るために彼らは戦争を引き起こしかねない。ユートピア的発想はこのような事態を見えにくくしてしまうと私は考える。
そして、リアリストにすれば、「利益の調和」は「満足国家」すなわち強国の欺瞞に満ち溢れている。カーの言うように、「実のところ共同体の利益は、生存競争に勝ち残った強い個々人の利益とだけ一致したにすぎない」(p.107)のだ。当時のように「適者生存」のダーウィニズムが政治や社会を分析する際に援用されると、たちまち強国だけが「適者」となり、それが自然とみなされてしまう。つまり、「利益調和は「不適者」のアフリカ人やアジア人を生贄にして成立」(p.109)するような状況が見過ごされるばかりか、積極的に容認されてしまう。「適者生存の論理は、生存者が事実上生存するのに最も適していることを証明している」(p.142)のだ。イギリス、そして西洋世界のいわばエスタブリッシュメントであったカーによるこの指摘は重いと感じた。
ここまで、ユートピアニズムの特徴と背景を確認した。次に、リアリズムについて、適宜ユートピアニズムと比較しながら考えていく。あえて比較するのは、リアリズムがユートピアニズムのアンチテーゼとして展開してきたからである。
リアリズムはまず、「自分では変えられないあらかじめ決まっている発展過程を分析する」(p.41)ことを特徴とする。つまり、リアリストにとって真理とは「実在のロゴス」なのである[6]。「あるべき未来」について規範的な思考をするユートピアニズムとは対称的であることが分かる。
そして最も重要な特徴として、リアリズムは現実を直視するがゆえに、国際関係における権力(パワー)を直視せずにはいられないのだ。つまり、「政治がもっぱら権力という言葉で定義されるわけではないが、権力がつねに政治の本質であることは間違いないのである。」(p.204)
国内政治においては、権力が政治の中心にあることは容易に理解される。しかし、ユートピア的思考が有力であった時代においては、権力が実際の国際関係を動かしているとは理解されなかった。「英語圏諸国のユートピア論者たちは、国際連盟の成立こそが国際関係から権力を除去し、陸海軍の時代を論争の時代へ代えていくのだ、と真面目に信じていた(pp.205‐206)のである。
ユートピア論者にとっては国際関係では権力が働いていないように見えたかもしれないが、カーによると、強国が事実上権力を独占していたのだという。例えば、考えてみれば当然のことであるが、ある時点における大国はできるだけ現状維持を望み、小国は可能であれば現状の変更を望むであろう。大国にとっては、小国の現状変更の試みは全くの権力行使である。しかし一方で小国が大国に挑むことがなく、国際関係が安定していたとしても、そこには権力が見えない形で作用している。すなわち、大国から小国に対する具体的な武力の行使などなくとも、大国は小国に対して影響力を行使しているのであり、それはつまり権力が働いているのである。この点を見過ごすことは議論の混乱を生むし、実際、国際連盟がうまく働かなかったことの一因ともいえる。
言い換えると、先に確認したように、「利益の調和」は強国の欺瞞に過ぎないのである。リアリストはこの欺瞞性を明らかにすることから始まり、政治の本質である権力を直視する。リアリズムは「ユートピアニズムの諸原理に隠された権力のデーモンを明らかにする」[7]ことがその使命である。
では、リアリストの直視する権力とはいかなるものであろうか。権力は可視的なものからそうでないものまで様々あるが、カーは国際政治における権力を三つのカテゴリーに分類する。すなわち、軍事力、経済力、意見を支配する力である。ただ注意しておきたいのは、カー自身が「権力は、その本質において不可分の一体である」(p.215)と述べているように、これらの分類はいわば理念型(ウェーバー)である。現実の構成要素として三つの分類は可能であるが、実際の国際関係ではこの三つは複雑に絡み合っている。ただ、理念型に過ぎないといっても、分析する際の枠組みとして有用であることを付け加えておく。
理念型であることを確認したうえで、カーの議論を紹介したい。
第一に、軍事力である。軍事力は直観的にいっても、最も重要であるように思える。カーはその理由として、「国際政治における最後の手段が戦争である」(p.216)ことを挙げる。確かに、集権的な政府の存在しない、いわば「秩序だった無秩序状態」ともいえる国際政治においては、最終的に問題を解決する手段は戦争、つまり軍事力を行使することである。また、軍事力は手段となるだけでなく、目的ともなりうる。カーの引用する「戦争の主たる原因は、戦争それ自体である」(p.220)という言葉は興味深い。
第二に、経済力である。理念型として分類したものの、カーは軍事力と経済力を分離して考えることは危険であると警句を発する。「権力は同じ目的のために軍事的武器と経済的武器を用いる」(p.255)のであり、両者は不可分のものである。「経済力が軍事力から切り離されることはありえないし、軍事力も経済力から分離されることはない」(p.256)のである。それは例えば、大西洋憲章において、政治秩序が政治経済秩序として構想されたことからも分かる[8]。戦後構想の担い手たちは、政治と経済を分離不可分のものとして認識したのだ。
最後に、意見を支配する力である。カーによると、意見を支配する力は軍事力・経済力に匹敵し、政治目的にとっては本質的なものであり、またこれら二つの力と密接不可分の関係にある。そして、本書が初めに出た1939年の時点でも、ヒトラーが宣伝に長けていたと引用されているのは興味深い。宣伝について国内的に考えると、第一次大戦後の「総力戦」においては、国民をいかに戦争に向けて総動員するかが重要となった。また国外的に考えると、とくに第二次世界大戦において、「連合国」と「枢軸国」側が互いの理念、構想を掲げて戦ったことが重要である。
カーの言うように、国際政治から権力を排除することはできないという理由によって、「国際政治は常に権力政治」(p.278)である。この考え方こそが、リアリストとしてのE.H.カーの中心にある。国際政治が常に権力政治であるということは事実であると言ってもいいし、疑義を挟むつもりもない。しかし、そればかりではなかろう。国際政治がすべて権力だけで動いているかというと、それもまた事実に反するのである。その証拠に、先の引用部分に続いてカーは、国家による宣伝が国際性を装わずにはいられない事実を指摘する。少し長くなるが、次に引用する。
「すなわち、いかにそれが限定的なものであろうと、またいかに弱々しいものであろうと、国際的な共通理念の根幹ともいうべきもの―われわれはこの理念の根幹に訴えるのだが―が存在すること、そしてこれら共通の理念がともかくも国益を超える価値基準にかなっているのだ、という信念が同じく存在するということである。この共通理念の根幹こそ、われわれのいう国際的道義の意味なのである。」(p.279)
つまり、いかに独裁的な政治家であろうと、彼が戦争を起こす際には、彼は宣伝を駆使することによって、戦争に国際性のイデオロギーを与えようと試みる。このことは、一国のみの国益を超える共通理念が、一応は存在することを証明しているのだ。それをカーは「国際的道義」とよぶ。
リアリズムはそもそも、政治における道義の要素を無視するかあるいは軽視し、政治現象の因果関係そのものを解明しようとする[9]。つまり、カーにおいては、道義と権力は相いれないものであり、それはそのままユートピアニズムとリアリズムとの対立に読み込むことができるのだ。しかし重要なのは、カーが「政治的行動は、道義と権力の整合の上に基礎づけられなければならない」(p.197)と道義が政治に必要であると考えていることである。政治における重要な要素として、道義を位置づけていることは興味深い。権力を直視するリアリズムにおいても、道義の存在は軽視するべきではないし、むしろ目をむけるべきである。もちろん、道義だけで政治が動くことはないという留保が付くのであるが。
ここまで、リアリズムについて少し詳しく確認してきた。最後に、『危機の二十年』の今日的意義について、評者自身の評価を加えて本書評の結びにしたい。
評者が注目したいのは、結論部分にあたる第十四章「新しい国際秩序への展望」における第二節「国家は権力の単位として生き残れるか」である。本書が書かれた時代においては、国際政治のアクターはもっぱら国民国家であった。当時において実効的な単位は国民国家であるという事実は揺るがなかったのだが、カーは本節において興味深い予言をしている。
「…ある種の確信をもって一つの予言をしてみよう。将来、主権の概念は現在よりもおそらく不鮮明かつ曖昧にさえなるだろう。」(p.434‐435)
大胆な予言を述べたと思えば、次のように続ける。少々長い引用となるが、筆者が興味深いと思った点であるのでご容赦願いたい。
「実行的な(しかし、必ずしも満足できるものとは限らないのだが)権力が単一の中心から行使される限り、形式的に主権をもついくつかの国家からなるグループが集まってそれぞれ単位をつくる、ということがあってもおかしくはないのである。」(p.436)
この予言は、現在でも論争となっているどころか、壮大な実験の最中であるといえる。冷戦後の今日、国家間の相互依存やグローバル化は急速に進んでおり、新たな国際秩序が形成されている。例えばEUは、宗教・民族を超えるばかりか、国家を超えた大きなグループを形成している。EUは国民国家の枠組みを超え、EU議会やEU大統領といったものまで実現させているのである。
では、国民国家という枠組みは意味が希薄化していき、今後維持されないものになるのだろうか。評者はそう考えない。「EUの成功」が華々しく喧伝された数年前に比べて、現在のEUは加盟国間の不満が溜まり、その調整に各国が追われている。それどころか、各加盟国内では「反EU」を掲げた勢力が台頭し、それらの勢力は民族主義的性格を帯びてもいるのだ。あのEUでさえも、このありさまなのである。
むしろ、今後は国民国家という枠組みは強固になっていくのではいか。我々は、数世紀の産物でしかない国民国家制度を所与の条件として享受するばかりか、それを乗り越えようとする試みも失敗に終わりそうなのである。カーの問題提起を重く受け止めながら、EUという壮大な実験の行く末を注視していきたいと思う。(2015年6月17日)
[1] 花井等、石井貫太郎編『名著に学ぶ国際関係論』有斐閣、2009年、20ページ(加藤朗著)
[2] E.H.カー著『危機の二十年―理想と現実―』(原彬久訳)岩波文庫、2011年、34ページ(*以下、本書からの引用は、本文中にページ数のみを記す)
[3] 原彬久編『国際関係学講義』有斐閣、2011、5ページ(原彬久著)
[4] 前掲『国際関係学講義』pp.5-6
[5] 余談だが、この部分の訳出は「輿論」(人々の議論または議論に基づいた意見)と「世論」(世間一般の感情または国民の感情から出た意見)とに峻別したほうが、意味がより明確になる。しかし、両者が混同して使われる現状においては仕方のないことかもしれない。
[6] 原彬久編『国際関係学講義』有斐閣、2011、11ページ(原彬久著)
[7] 原彬久『国際政治分析-理論と現実』新評論、1997年、19ページ
[8] 秋元英一・菅英輝『アメリカ20世紀史』東京大学出版会、2003年、149ページ
[9]原彬久『国際政治分析-理論と現実』新評論、1997年、22ページ