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映画の感想と勉強日記

感想『K-POP 新感覚のメディア』(岩波新書、2018)

 

K-POP 新感覚のメディア (岩波新書)

K-POP 新感覚のメディア (岩波新書)

 

 

本書のテーマについて

本書の主題は、タイトルにあるように「K-POPはメディアである」ということである。メディアとはつまり「何かを媒介するもの」である。「何か」とは、年代によって異なるが、特に本書のポイントは、「K-POPにおいてはアメリカの黒人文化(ヒップホップ)、日本の音楽(アイドルなど)、韓国的なもの(Kの欲望)、POPの欲望、それぞれがごった煮にされている」ということだ。K-POPは「米韓」という枠組みで語られることが多いが、本書の視点では「日米韓」という視点が導入されている。

結論からいうと、「日米=中心、韓国=周辺」だった構図が、両者の境界が曖昧になり、それがまさにK-POP(メディア)になっているというものだ。


例えば、「PSYはなぜ流行したか」と問うたとしても、あらゆる答えは事後的に可能であるが、そのどれもただ一つの答えにはなり得ない。それはK-POPがメディアであるからこそ起こる現象である。


逆に言うと、「K-POPは~である」という定義はできない(というのが本書の主張)。「K-POP 1.0、2.0、3.0」のような形で分類できる方法もあったはずだが、「第n次韓流ブーム」という分類を拒否しているように、このような分類法も取らない。

 

それは常に、絶えず、あらゆる方法で更新されていくK-POPを論じるうえでは必要なことであったのではないか。ただし、読者としては若干、「K-POPって結局何なのか、答えを早く言ってほしい」ような気にもさせられるが、本書全体を読むことで全体像がある程度掴める(*しかし、それもあくまで執筆された時点のもので、その後も耐えず更新される)という構成なので、最後まできちんと読めば把握できる。

 

印象に残った点

本書の画期的な点はやはり、K-POPに対する日本の役割をきちんと論じた点にある。ともすれば、アメリカ文化からの影響のみが指摘されがちであるが、80年代にまで遡ると日本の「模倣」と呼ばれるほど影響を受けていたのである。もちろん音楽面だけではなく、市場として、そしてオーディエンスとしての日本のファンダムの役割も重要である。
もう一つ個人的な感想として、本書は「第n次韓流ブーム」という枠組みの妥当性を疑っているところが画期的だと思った。

 

「第2次韓流ブームから第3次の現在まで日韓関係は悪化していた」ということが自明に語られることがあるが、コンサートの動員数をきちんと把握した時、それは全く事実を示していないことが明らかになる。

 

まさに「日韓関係から自由な空間」を担保していたのである。

 

奇しくもこの時期は、著者も苦しんだというヘイトスピーチが問題になった時期でもある。そのような「日韓関係史上最悪」とも呼ばれる時期に、BIGBANGはコンサート動員数ランキングで一位を獲得し、華やかなドームツアーを続々と成功させていた。「2012年から2017年は空白期」と言われるが、その言説が相当怪しいことを定量的なデータを示すことで喝破したのは重要である。「実は黄金期」とまでは言っていないが、ことBIGBANGに限定して言えば、それは必ずしも誇張ではない。

 


裏テーマとしての「アンビバレンツ」?

本書の裏テーマとして、「アンビバレンツ」というものがあるのではないか(というのは、後述する読書会での友人からの指摘)。

本書では、K-POPに関連して、相反する様々な事柄が論じられている。

例えば、アイドル地図で考えると、RED velvetは面白い存在。成熟したイメージ(Red:アイリーンが象徴的)と、少女的なイメージ(Velvet:イェリが象徴的)が同居しており、グループ名とそのコンセプトも両者の同居である。アンビバレントな要素を併せ持つことの強みもあるが、アイリーンへの批判に見られるように、両者のイメージの間で引き裂かれてしまうこともある。


ところで、「K-POPのアイドルって児童虐待ではないか」と指摘された著者の困惑と、それを否定しきれないもどかしい感情は、まさにアンビバレントなものである。そう考えると、本書は何もハッピーで明るいだけの本ではなく、裏側には少し暗いものが感じられる(これも友人からの指摘)。本書ではもちろん、K-POPの負の側面についてもきちんと論じられている。

RED velvetのアイリーンのようにフェミニズム小説を読んだだけで批判されたりした例もある。一方で、2NE1の活躍(その後解散)も興味深い。さらに、元2NE1のメンバーであったCLが平昌五輪でパフォーマンスを披露するなど、女性へのエンパワメントを堂々と歌うアーティストがK-POPでは広く受け入れられている。しかし、それと同時に、伝統的な女性像から外れることで非難されもする。平昌五輪でのCLのパフォーマンスに対しても批判はあったらしい。


Red Velvet 레드벨벳 'Bad Boy' MV


CL Full Live Performance at the PyeongChang 2018 Closing Ceremony | Music Monday

 

国家とK-POP

本書でもう一つ印象的なのは、「韓国のK-POPって、結局政府がお金出してるんでしょ」という類の嘲笑への批判がきちんと用意されていることである(最近でも『アフター6ジャンクション』内で、Zeebraが韓国のHiphop業界を指してこのような趣旨の発言をしていた)。

普通に考えても分かるが、国家がいい音楽を生み出せることなどあるわけない。むしろ、国家の側が文化戦略として(要はプロパガンダ的に)、利用することがあるのである。

皮肉なのは、朴槿恵政権を退陣に追い込んだ「ろうそくデモ」で、少女時代の代表曲(Into the New World)が歌われたことである。このエピソード一つをもってしても、先のような嘲笑は的外れであることが分かる。


Girls' Generation 소녀시대 '다시 만난 세계 (Into The New World)' MV


全体の感想

K-POPを文脈の中に位置づける作業は、音楽産業や文化としての音楽という全体的な視点だけでなく、個々のグループにも精通していなければならない。本書はその大変な作業をやりきった労作であると思う。

若干悔やまれるのは、BTS騒動やProduce48が本書出版後にあったことである。もちろん「最新情報をアップデートすることは本書の主題ではない」とされているが、やはり惜しいとは思われた。かなり最新の情報まで丁寧に拾われているし、本書でも扱われそうなトピックであったので。

そう考えると、やはりK-POPの世界はあまりにも早い。どんどんと新しい話題が提供されていき、ファンはとにかく忙しいのだ。
ただ、本書で得た知見は、読者がこれからのK-POPを考えたり、受容したりしていくなかでは、かなり実践的に「使える」ものである。それはもちろん知識をひけらかすための「うん蓄」ではなく、分析するためや楽しむための「視座」という意味である。

 

<補論>BTSの騒動について

この本に関して、友人2人と読書会を行った。本書を参考にしながら、BTS騒動についてもいろいろ話してみたので、以下に少しまとめたい。

元々BTSのファンであった1人は、「韓国のファンの反応は過激で怖く感じる」というものであった。私を含めたもう1人は、「アメリカではレイシズムやセクシズムが問題となって、テレビ番組を降板させられたり、それこそMeToo運動が盛んな昨今では珍しくないのではないか」という意見だった。

日本的な感覚で「政治に音楽を持ち込むな」という意見も分からないではないが、グローバルな視点からいくと、そのような意見は通用しないのではないか。本書の中でも、K-POPでは「政治的正しさ」(ポリティカル・コレクトネス)が要請されることが多いことが論じられている。

要するに、秋元康は「政治的に正しくない」から、BTSのファンダムであるアーミーから拒否されたのである。アメリカの事例などから考えると、その事例にまた一つ加わっただけで、特段珍しくないともいえる。
ただし、韓国のBTSファン(アーミー)から指摘された内容と、海外のメディアでの論調が異なっているのではないかという指摘もあった。韓国のBTSファンからは、「秋元康が安倍と近い右翼だ」と批判を受けた。海外のメディア、あるいは日本の一部のファンからは、秋元康のこれまでの作詞における女性蔑視的な視点が問題とされたり、AKBグループ全体の抑圧的な構造(体制?)のようなものが問題視されているようである。この辺のずれは微妙に感じられる。
日本では「政治的正しさ」がそこまで問題になるのは珍しいが、世界的にはそれが普通である。むしろ、日本の若者たちが積極的にK-POPを受容することになった背景には、K-POP側の「政治的正しさ」への配慮、ポリティカルコレクトネスがあるのではないか。もちろん、それ自体についての評価はいろいろありうる。


The full speech that RM of BTS gave at the United Nations

まあ、国連で演説しちゃうんですから。ポリコレは求められますよ。