Hooney Got His Pen

映画の感想と勉強日記

親子丼はえげつない

大学の食堂で、留学生の友達が昼ごはんを食べていた。親子丼をがっついていた。


「親子丼だね」と言うと、「What does Oyakodon mean?(親子丼ってどういう意味?)」と聞かれた。
「Parent and child(親と子供)」と答えると、怪訝そうな顔。「つまり、子供とは卵のことで、親とは鶏肉のことだね」と言うと驚いていた。「残酷!えげつないねえ。」と言いながら。

たしかに、親子丼ってコンセプトは残酷だと思う。もちろん本来の親子ではないはずであるが、そのネーミングセンスはなかなか怖い。なんというか、人間の業を感じる料理名である。

今学期からチューターをしている留学生とよく話しますが、いろいろ気付かされてとても面白い。確かに、親子丼はえげつない。

院生はつらいよ

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(画像は映画『神々のたそがれ』から。たしか原題を直訳すると、『神々はつらいよ』だったので。)


院生生活、まず、課題が多い。全部丁寧にやっていると追いつかない。レポートとか発表もそうだけど、課題文献がとにかく膨大な量である。優先順位をつけてサクサク読んでいかないと、というのはわかるんだけど、それも口で言っているだけで実際にやるのは難しい。

学部生時代には「どくしょほう」とか「じょうほうしょりじゅつ」の本も読みましたが、なんかアホらしくなった。ああいうのんって大量に出版されてるけど、ほんと意味ないよなぁ。

とにかく、まずは優先順位を定めることから。そんで次は落ち着いた時間を確保することである。勉強だけに集中できる時間が、意外と少ない。

そう思ってアルバイトは3分の1にしたが、どうなることやら。土日に勉強するのはもちろんですが、平日でも終電で帰ったりしてます。しんどい。

 といっても、週一回は休んでるな。

出来の悪いレポートに落ち込む…

今日、書評レポートを提出したのだが、自分的には惨憺たる結果だった…。本当に恥ずかしいし、できれば提出せずに授業から逃げたいくらいだ。

これを活かして次のレポートは、あらかじめ、前もってやるしかない…、とはわかりきっているんですが。自分でも納得できないものを書き、それを印刷してホッチキスで留め、先生に提出する、というプロセスを経るのはなかなか落ち込みます。

あと、先週から今週にかけてかなり気分が沈んでしまっていて、授業でもなかなか発言しなかった。課題文献を読めていなかったのもあるが、というかそれがでかい。

とにかく、課題文献になんとかついていって、発言が求められる授業では積極的に発言して、その都度間違いを指摘してもらう。というサイクルを回すしかない。英語での授業はほんとになかなかツラいのですが、留学行くこと考えると、ねぇ。間違いを恐れずやってくしかないな。

そういえば、留学生の友達が「日本人は間違いを恐れ過ぎだよー。間違えていいじゃん。その都度"improve"(改善)するんやん!」と言っていた。この気持ちで頑張るしかない。

最近、決意表明みたいなの多い。


新書、叢書、選書

そういえば、池内恵さんのインタビューめちゃくちゃおもしろかった。

日本人が陥る中東問題のワナ | インタビュー | Book Bang

新潮社の編集者の前で、養老孟司バカの壁』が新書戦争を起こして、質の悪い新書が大量に出てる…って語れるのすごいな。まあそれは言うとおりで、池内氏の言うような教養本としての新書って、今は中公新書がダントツで、たまに岩波新書…くらいかな。いえ、もちろん他の出版社の新書もいろいろ評判のはありますが、常に平均点高いのはこの辺(とくに中公新書)というイメージ。他の出版社は当たり外れ大きくて、著者の名前で選ぶか、話題になっているか(必ずしも売れているかではない)を基準にして立ち読みしたり、たまに買ったりはする。文春新書はけっこう買っていたりするし、朝日新書は全然買っていなかったりする。講談社現代新書は昔の装丁は綺麗だから何冊もっていて、今はシンプルすぎる気が。何冊かは今のもあるけど。

たぶん、「新書」っていう容れものはもうかつてのように機能していないのだろう。そういえば、福間良明『戦争体験の戦後史』(中公新書、2009年)にも、新書についての話がちらっと出ていた気がする。カッパブックスが教養本として受容され…みたいな。ちょっと忘れてしまったけど。

佐藤優も同じようなこと言ってた(今の新書は、かつての月間雑誌のいち特集くらいの内容も多い)けど、佐藤優姜尚中の対談本はやたら文字がでかくて薄くて、700円だった。

その点、池内氏は「選書」というメディアに注目しているようだ。たしかに、最近の新潮選書は特にアツいとおもう。

自分の本棚の選書欄を見ると、高坂正堯の新潮選書と、永井陽之助の中公叢書がある。一方、最近の選書で買った読んだものは細谷雄一『戦後史の解放Ⅰ 歴史認識とは何か』(新潮選書、2015年)がある。

特に今月の新潮選書はアツい。どれも欲しくなってしまうけど、そこは財布と相談しよう。


…と書いていて気づいたが、こうやっていろいろと目移りしているから、授業に直接関係のある文献を読み進めていないのである。夏休みまではとりあえず我慢。

モハメド・アリの伝記映画

町山さんの「たまむすび」を聴いて思い出した。

モハメド・アリについて詳しく知ったのは、深夜にテレビでたまたまやっていた伝記映画を見たときだ。

今調べてみると、ウィル・スミス主演の『ALI』(2001)という映画だ。カシアス・クレイ(アリの元々の名前)が世界チャンピオンになるところから始まり、ベトナム戦争への兵役拒否、ブラックムスリムとの出会い(これでモハメド・アリと名乗るようになる)、マルコムXへの傾倒、等が描かれる。
小学生か中学生に見た限りだから、これくらいしか憶えていないが、ひとつとても印象的なシーンがあった。彼がイスラム教に改宗し、モハメド・アリと名乗るようになるところ。そのことを自分の家族に伝えるが理解してもらえない、というシーンだったと思う。

なぜこのシーンだけをはっきり憶えているのか、理由はよく分からない。なんとなく自分を重ねていたのかもしれないし、もしかしたらそこだけ見たのかもしれない。

僕が一番好きな映画は『ロッキー』だし、昔からボクシングを描いた映画が好きだった。ボクシングを描きながら人生を描く、というのは『ALI』とも共通するかも。

『ALI』はボクシングのシーンなんてほとんどなかったと思う。この映画で初めて黒人差別を知った。そういう意味で、自分にとって思い出深い映画だ。

この機会に、町山さんの紹介していた『アリ・ザ・グレイテスト』を見てみたい。今回の町山さんの話はかなりアツくて、胸にくるものがあった。
「アリはボクシングだけの人じゃない!」と強調していたが、伝記映画を先に見ていたので、そもそもボクシングのイメージはあんまりなかった。リアルタイムに試合見てないしね。

そういえば、TBSラジオPodcast配信停止はけっこうショックだなあ。新しいサービスに移行するにしても、ダウンロードは可能にしてほしい。