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【メモ】首相の解散権

首相の解散権の話には結構関心があり、以前もメモしておいたが、今回も論説をメモしておきます。2019年6月の記事から抜粋です。以下、太字は引用者です。

 

mainichi.jp

非合理だとまでは言えぬ 牧原出・東京大先端科学技術研究センター教授

 第2次安倍政権における衆院解散の特徴は、政権運営にほころびが生じた時、それを締め直すために行うことだ。最初の2014年の解散時には、直前の内閣改造で就任した新閣僚に不祥事が続発し、17年の2度目の解散では、森友・加計問題で強い批判を浴びていた。安倍晋三首相は解散によってこうした状況をリセットし、再び政権を浮揚させようとした。

 小選挙区制を中心とした選挙制度と、野党多弱の政治状況のもとでは、安倍政権の政策が国民に支持されていなくても選挙に勝てる。「国民の信任を得た」として、政権を締め直せる。つまりは現状維持のために解散しているのであり、理由は何でもいい。

 過去2回の解散は、消費増税の延期などそれなりの理由があったが、もし今回解散すれば、いよいよ理屈が立たない。国会には大きな与野党対決法案はなく、予算委員会さえ開かれていない。「信を問うものがない」状況を政権が自ら作り出している。ここで解散すれば「衆参同日選にするため」以上の理由を見いだせない。

 しかし、だからといって「憲法7条による解散に制約をかけるべきだ」というのは適当ではない。解散権を制約する目的は、解散権の乱用による政治の不安定化を防ぐことにあるが、少なくとも第2次以降の安倍政権の場合、解散で政治が大きく不安定化したとも言えない。

 「選挙に勝てる」という理由で時の政権が恣意(しい)的に解散することについては「政治的に適切か」という問題はあろう。だが、憲法7条を根拠とした初の解散である第3次吉田内閣の「抜き打ち解散」(1952年)で、吉田茂首相(当時)の自由党は、実は議席を減らしている。「勝てるとみて解散すれば勝てる」わけでもない。

 内閣による恣意的な解散を防ぐのは、むしろ野党の役割だ。野党が政権の受け皿としてしっかりと準備ができていれば、政権側もそう簡単に解散を考えることはできない。それでも解散が行われたら、今度は有権者が投票によって解散の適否に審判を下せば良い。

 解散権を一切制約すべきではない、と主張しているのではない。毎年のように解散を繰り返したり、選挙で選ばれた国会議員が初めて召集された国会でいきなり解散したりすれば、誰の目にも恣意的な解散だと映るだろう。だが、現時点でそういう非合理的なことが行われているとまでは言えない。安倍政権による解散は、現状では否定されるほどのものではないと考える。

 安全保障関連法を制定した後の安倍政権は「異次元」など大げさな言葉を使う割には、現状維持的でスケールの小さな政治に終始している。提案された政策をよく見れば、官邸主導の形をとった安全運転の官僚政治に過ぎない。改憲勢力が衆参両院で3分の2の議席を確保していながら、いまだに憲法改正の発議ができていないことが象徴的だ。首相のキャラクターに惑わされて「安倍首相の強権政治を押さえつけるために解散権の制約を」などと議論するのは、政権の本質を捉え損なっている。

 

 河野洋平、牧原出、曽我部真裕らの議論。牧原さんの考えに共感しつつ読んだが、曽我部さんの意見にも納得。

「内閣による恣意的な解散を防ぐのは、むしろ野党の役割だ。野党が政権の受け皿としてしっかりと準備ができていれば、政権側もそう簡単に解散を考えることはできない」という指摘は原則その通りとも思いつつ、では、「解散が政権の都合の良いタイミングだけで行われている結果、野党の弱体化がもたらされたのではないか」とも思う。民主党民進党希望の党立憲民主党、国民民主党、一部は自民党へ、ほか…の流れを見ていると、やはり野党には同情する。

2017年9月の記事だが、以下のような指摘もある。

海外の議会政治に詳しい立命館大の小堀眞裕教授によると、経済協力開発機構OECD)加盟35カ国で政権の自由裁量による議会解散が一般化しているのは日本を含めカナダ、デンマークギリシャの4カ国。小堀教授は「野党の準備不足を見計らうような解散権の行使は、日本が際立っている」と指摘する。日本と同じ議院内閣制を採用する英国やドイツの解散権は、不信任決議案の可決などの場合に制限されている。衆院解散表明:解散権の制約、専門家が提案 - 毎日新聞

 

以下は、曽我部真裕・京都大大学院教授の意見から抜粋。

官僚への人事権行使にもみられるように、安倍政権の政治には「禁じられていなければ何をやってもいい」という発想がある。官邸機能を強化する改革の結果、首相のリーダーシップが強まり、これに伴い首相が権力を乱用するリスクも高まった。これは安倍晋三首相のキャラクターに帰因するだけではなく、むしろ制度の問題であり、今後もこうした権力行使がなされる可能性は十分にある。

 政治のルールに関する今の制度は「権力は良識をもって行使される」という性善説で成り立っている。それが失われているのなら、恣意的な解散を防ぐ制度を作らなければならない。

 日本のように解散権に何の歯止めもない国は珍しい。議院内閣制をとる欧州諸国には、解散権に何らかの制約がある。英国では、議会で過半数より多い「特別多数」の議決を必要とすることで、首相による解散権の乱用を防ぐ制度がある。こうした例も参考になる。

 民主主義に関する諸制度を、時代の変化に合わせて現代的なものに作り替える作業は、本来は国会で日常的に行われなければならない。解散権の問題も、望ましい議院内閣制のあり方全体を考える中で議論すべきだ。

 

「禁じられていなければ何をやってもいいという発想 」という指摘には頷くが、「制度内で可能なことは極限までやる」とも言い換えられる。善しあしは措いておいて。だからこそ、制度的に歯止めをかけておくべき、という議論か。

 

 

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