Netflixで。原題は『マルチュク通り 残酷史』。邦題にある「青春通り」とはかけ離れた内容だったので、こちらの方がしっくりきます。けっこう残酷ですから。ポスターには「1978年 僕たちの学園アクションロマン」とあります。
途中までは「高校を舞台にした甘酸っぱい青春映画ね、はいはい」と思って見てたけど、明らかに暴力描写が度を越してたり、学校の中にある軍隊のような権力構造がだんだん見えてくる。
やや情けない、青くさい顔のクォン・サンウが演じる主人公は、ブルースリーの『ドラゴン 怒りの鉄拳』が好き。当時ではおそらく典型的な、ブルースリーに憧れる高校生。初めは「なんでブルースリー?」という気もしないではないが、その意味もラストに向けて分かってくる。
前半は本当に純愛映画みたいな感じで、やや気恥ずかしいくらい。ハンガイン演じるヒロインはめっちゃ可愛いです。そういえば、『建築学概論』にも出ていました。
『建築学概論』もすごい面白かったですね。
話を戻すと、前半の恋愛話から後半は打って変わって、高校のケンカ話に。高校で幅をきかせてる番長への復讐劇みたいな話になってくる。その番長は最大の敵なんですが、そのバックには校長がいて、軍人がいる。権力者のオールスターです。その番長はいわば、抑圧的な体制の象徴とも言えるキャラクターです。
つまり、主人公の振る舞いはそのまま、当時の韓国社会への批判になってる。ここでさらに、ブルースリーが意味を持ってきて、『ドラゴン 怒りの鉄拳』だった必然性がわかります。『ドラゴン 怒りの鉄拳』のラストでは、師匠を殺されたブルースリーがブチ切れて、殺されること覚悟で敵に向かっていきます。このストーリーが本当にそのまま、1970年代末の韓国にトレースされているのがこの映画です。
この映画の冒頭で、『ドラゴン 怒りの鉄拳』のラストシーンがそのまま引用されています。主人公が映画を見ているという設定で。もう本当にそのまますぎて笑ってしまいますが、それがまたいいんですよね。前半の恋愛話から、きちんと後半にはブルースリーに戻ってきますし。
物語は1978年に始まり、『タクシー運転手』の1980年の一年前、1979年に終わる。
前日譚とも言えるというか、当時の韓国社会を学校文化からよく見える内容になっていた。
例えば、学校には大きく「維新体制を進めていこう!」みたいな弾幕がかかっている。維新体制というのは、朴正煕が1972年の憲法改正によって作り上げた体制。要するに、めちゃくちゃ人権抑圧的で、非民主的な体制です。
実際に学校の中にも軍人が入っていて、こいつらの体罰がひどいのなんの。描写ものすごい。
しかも、その軍人が主人公をいたぶる時に言うセリフが、「俺がベトナムで何人殺したか知ってるか!」
韓国はアメリカに協力する形でベトナムに大勢派兵しており、ベトナムでは軍が虐殺事件なども起こしています。
このセリフには心底嫌悪感を催しました。「自慢すんなよ、この戦争犯罪人が…」とか気持ちがクサクサしました。なので、ブルースリーに憧れた主人公が反旗を翻した時は「徹底的にやったれ!」という気持ちに。
ブルースリーという存在が「抑圧者に対する反逆」として表象されていて、そういう映画はもうその時点で最高なんですが、当時の韓国社会の情勢がとてもうまく描写されており、とっても良い映画でした。
冗談で、ブルースリーの真似して「アチャー」とか言ってるんじゃないんですよ。実存をかけてるんですよね。切実にブルースリーになりきって、ヌンチャクで、抑圧してくる奴らを次々と倒していくんですから。力入って見てしまった。この、クォン・サンウが敵をやっつけた後の哀しげな顔ですよ。もちろん『燃えよドラゴン』でブルースリーが見せた、あの有名な表情です。クォン・サンウの演技力すごい!
このシーンは本当に、なんともやるせない気持ちになりました。「韓国の学校なんて最悪だ!」って叫んで、このなんとも哀しい顔をするんですね。体罰で押さえつけてくる学校、それに対して反抗するには、自分を鍛えあげ、暴力を振るわなければなかった。敵をやっつけるこの場面は一見スカッとするのですが。ずっと優しかったクォン・サンウが暴力を振るうに至った経緯や背後にあるものを考えると、やっぱりかなしいですね。それはまた、『タクシー運転手』で、軍に立ち向かっていった学生や市民とも重なります。もちろん、武装したところも。
あと本筋にあまり関係ないところで面白かったのは、高校で回し読みされているエロ本が日本からのものだったり、映画雑誌の『スクリーン』が読まれていたりするところ。規律に厳しく自由の制限された韓国との対比として、どんな形にせよ、日本の文化が出てくるのが興味深かった。
あともう一点は、やっぱり物語に説得力を持たせるには筋肉ですね。バキバキに鍛え上げた筋肉は、それだけで物語を駆動させるエネルギーみたいなのがあります。
正直、前半と後半では違う映画じゃないかってくらい、あんまり一貫性はないんですね、お話それ自体には。例えば、「彼女のために鍛えあげて強くなる!」みたいにするのもあったと思うんですが、それだと『ロッキー』になってしまうか。トレーニングのシーンをわざわざ入れるあたりは『ロッキー』ぽいですけどね。対決シーンの動機にヒロインを絡ませるのは、定石に思えました。その意味で、ちょっとその辺がぼやっとしていて。
でも、クライマックスの復讐劇に至るまでに、主人公がバキバキに体を鍛えあげるシーンで、そんなお話の整合性とかどうでもよくなってくる。「ヌンチャクどうやって使うんだろう」とか、「おれもジークンドーやろうかな」とかそういう考えが頭をもたげてきて、「早くぶちかませ!」みたいなことしか考えられなくなってきます。本作はアクションのクオリティもすごく高いです。暴力描写もめちゃくちゃ痛い。すごいリアリティです。
話の一貫性なんかまじでどうでもよくなります。と書いたところで、「ブルースリーの『ドラゴン 怒りの鉄拳』を70年代の韓国でやる」というのはものすごく一貫してるんですよね。ひとつだけ欠点は、やはりあんまり話に関係のないような恋愛の話が多いところです。その点も、ブルースリーの映画の欠点?をそのままトレースしてしまってるように思います。ブルースリーの映画で、「その恋愛描写必要か?」とは何度か思ったことがあります。まあ、でも本作でそこはご愛嬌というか。ヒロイン可愛いし、まあなんでもいい。多少はそういうのないと、退屈で見れないとは思いますし。ハンガインは可愛いですし。