Hooney Got His Pen

映画の感想と勉強日記

四方田犬彦の韓国映画論ー『ユリイカ』韓国映画特集

 

ファンブックとか解説本的かものかと思い気軽に読んでいた『ユリイカ』の韓国映画特集。

 四方田犬彦「韓国ニューウェイヴ二〇年」が目に留まる。韓国映画史の特徴として「反共映画」と「反日映画」をあげつつ、2000年以降のニューウェイヴにおいて韓国現代史における暗黒部分に対する告発映画の存在を指摘。

それ以後、韓国映画は南北分断の歴史的事実を反共イデオロギーから切り離し、遊戯的に処理する方向へと進んだ。(94ページ)

それと、最近の「反日映画」への鋭い指摘として

クッポン映画に共通しているのは、日本に対する事前調査の不在と歴史的な無知である。だが今回の原稿ではそれには触れないで、先に進むことにしておきたい。(95ページ)

この部分は、四方田犬彦らしいというか。「それには触れないで」とは言わず、きちんとまとめてほしい。独特の距離感(=「我らが他者なる韓国」)で韓国論を書いてきた人ならではの韓国映画史の本を(改めて)書いてほしい。

でも、論考の主題はそこにない。韓国ニューウェイヴが韓国現代史の事件に題材を求め、果敢に映画化していることを指摘している。『ペパーミント・キャンディ』、『1987、ある闘いの真実』、『タクシー運転手』が挙げられる。

韓国映画はこうして、つい先ほどに生じた現代史の悲惨なる醜聞を、みごとに商業映画の素材に仕立てるだけの力量を、アクチュアルに所持するにいたったのである。(97ページ)

そして、『マルモイ』を挙げてからの以下の指摘には大いに首肯した。

もし韓国映画に独自のキャラクターが存在しているとすれば、それはこうした庶民と知識人のコンビであろう。それを世俗化された儒教と呼ぶことを、わたしは躊躇わない。庶民が教化され、民族の矜持に目覚める。庶民が知識人を助け、自己犠牲も問わずに行動する。それが韓国映画の根底に横たわるエトスなのだ。(99ページ)

 

もちろん性急な単純化は慎まねばならないが、わたしは今後の韓国映画が向かうべき主題のひとつが、親日派金日成派への転向を遂げた人物を、いかに韓国人として描き切るかというものであると考えている。(同)

四方田犬彦はかなり早い段階から、韓国映画を日本に紹介し続けていて、四方田犬彦だからこそできる鋭い指摘かなと。賛否両論あるだろうけど。なかなかできない、重要な指摘にあふれた論考だった。これまでに書いたものもかなりあるだろうし、最新の動向を踏まえつつ「韓国映画論」として1冊にまとめてほしい。ユリイカの中に埋もれるには惜しいので。

 

 

われらが「他者」なる韓国 (平凡社ライブラリー)

われらが「他者」なる韓国 (平凡社ライブラリー)