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映画の感想と勉強日記

ジョン・タントン博士の死

70年代からアメリカで移民排斥グループを結成し、長年活動して影響力を誇ってきたというジョン・タントン博士(Dr. John Tanton)が亡くなった。いくつかの記事が出ていたので、内容を軽くまとめる。

Dr. John Tanton, Quiet Catalyst in Anti-Immigration Drive, Dies at 85 - The New York Times

www.thedailybeast.com

もとは眼科医。60年代当初は環境保全のグループに所属し、当時の言葉で言うと「リベラル」だった。しかし、当時から優生学を信奉していたりした。

1979年にthe Federation for American Immigration Reform (FAIR)を結成。このグループは現在のアメリカでも最も重要な移民排斥グループである。その後も the Center for Immigration StudiesやNumbersUSAなどを結成。表向きの主張は隠されていたりするが、基本的には「アメリカは白人の国だ」という主張をもつ(the basic idea that America was a white man’s country)。

1965年の移民法改正に全面的に反対していた。1965年の移民法改正に関しては、以下を参照。

新田浩司「アメリカ合衆国民法の最近の動向に関する研究」(『地域政策研究』(高崎経済大学地域政策学会) 第 16 巻 第3号 2014年2月 15頁~ 29頁)

http://www1.tcue.ac.jp/home1/c-gakkai/kikanshi/ronbun16-3/07nitta.pdf

 1965年改正法(ハート・セラー法)は、出身国割り当て制限を撤廃し、西半球出身者と東半球出身者という大まかな枠で移民数を決定し、特別な技能を持つ人材を積極的に受け入れるようになった。
 1965年移民法は、合法移民を中心とする諸政策を規定し、①移民により離散した家族の呼寄せ枠と、②特定の職能を持つ人を採用する雇用枠の2カテゴリーが移民受け入れの基本的な枠組みであった。
 これは、人道主義的な原理として離散家族の再統合に高い優先順位をつけるとともに、産業界の労働力需要に対しては、職能カテゴリーによる選別で対応しようとするものであったが、この2つの基本原則が、現在もなおアメリカ移民法の根幹である。
 1965年移民法により、それまでの国別割当制度が廃止されることにより、ヨーロッパからの移民の占める割合の対人口比が減少し、それとは逆にアジア、ラテン・アメリカからの移民が増加している。特に1970年以降はアジアからの移民が急増した。ちなみに、1980年代のアメリカ移民の出生国は、ヨーロッパ10.5%、アジア42.9%、アメリカ43.3%となっている。

(上記論文20ページ)

国別割り当ては、1924年移民法(ジョンソン=リード法)で導入された。これについても、上記論文に詳しいので以下引用。

この法律は、各国からの移民の上限を、1890年の国勢調査時におけるアメリカに在住する各国出身者を2%以下にするものであり、1890年以後に大規模な移民の始まった東ヨーロッパ出身者・南ヨーロッパ出身者・アジア出身者を厳しく制限することを目的としていた。
 この法律ではアジア出身者について、全面的な移民禁止条項が設けられており、中国人移住者については、すでに1882年中国人排斥法により、その移住が一切禁止されて居り、その後1907年には日本人の入国が制限されるようになり、1917年移民法の改正により、全てのアジア人の入国が禁止されている。
 そして、1924年民法では、その当時アジアからの移民の大半を占めていた日本人が排除されることになった。この法律は、いわゆる排日移民法と称されるが、実際は、既存の移民・帰化法に、第13条C項(移民制限規定)を修正・追加するために制定された移民法の一部改正法である。

(上記論文、19ページ)

ジョン・タントンは1924年移民法で国別割り当て制度の設計者であったジョン・トレバー(John Trevor Sr.)を信奉していた。トレバーは反ユダヤ主義者で、親ナチスプロパガンダに協力していた。

…という感じの思想だが、彼の創設したFAIRが最も大きな役割を果たしたのは2007年の移民改革法案を阻止するため。議会では100回以上証言した。2007年移民改革法案とは以下の内容(主要国の外国人労働者受入れ動向(アメリカ:2015年1月)|フォーカス|労働政策研究・研修機構(JILPT) 参照)

ブッシュ政権下の2007年には、移民法改革法案(Secure Borders, Economic Opportunity and Immigration Reform Act, S.1348)が連邦議会に提出された。法案は、1986年移民改革法と同じ様な性格をもっていた。その内容は、2007年1月以前に不法入国した外国人滞在者に対して新たなカテゴリーの査証(Z)を付与することで将来的に永住権の道を開くものだった。5,000ドルの罰金と手数料を支払うことで申請が可能で、英語の能力試験で一定の成績を収めることと犯罪歴がないことが条件だった。査証は8年間有効で、その後は500ドルで更新が可能とした。あわせて、H2AH2Bという技能レベルが低い単純労働者(ゲストワーカー)に対する査証の再発給について規制を強化することが盛り込まれた。議会での議論には結論がでず、移民法は改正されなかった。

1200万人の不法移民にアメリカでの永住権取得への道を開く一方で、国境警備を強化する法案だったが、議会の反対により挫折した(Comprehensive Immigration Reform Act of 2007 - Wikipedia)。ちなみに、この議論の中では「メキシコとの国境の間に壁」という話も出てきており、現在のトランプ発言は全く突飛ではないというか、文脈があるのだと分かる。

FAIRからは現在のトランプ政権に参加したものもいる。そして、タントンが残した言葉で最も重要な言葉として、Daily Beastの記事では以下の言葉が紹介されていた。

“Demography is destiny,” he wrote once. “We decline to bequeath to our children minority status in their own land.”

 

「人口統計学は運命だ」「我々は、我々の土地(アメリカ)で我々の子供たちにマイノリティーの地位を残すことを拒否する」

【お買い物】『塩を食う女たち』ほか

 

 

 

 

 

 

 

餓死した英霊たち (ちくま学芸文庫)

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TRICK トリック 「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち

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清原和博への告白 甲子園13本塁打の真実 (文春文庫)

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【メモ】『ボーイズ』

男の子はいかにして「男らしさの檻」に閉じ込められるのか(北村 紗衣) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)

「はじめに」でギーザが述べているように、男らしさには「身体的な攻撃性、性的な支配性、感情的にストイックで、タフで、自己制御力があること」(p. 17)などが含まれると考えられている

「男らしさ」は普遍的な概念ではなく、社会や時代の影響で恣意的に決められる曖昧な性質だ。

『ボーイズ』は、男の子が男らしさの檻から出られるようにはどうすればいいのか、いろいろな事例をあげて解説している。この本は男であることの全てが悪いと言っているわけではない。終章では「若い男性たちがより包括的でのびのびとしたマスキュリニティを選び取る」(p. 323)手助けが必要だと書かれている。

『ボーイズ』という本の紹介記事。読んでいて頷くとともに、自分の小学生の頃とかを思い出した。小学校1年生の頃くらいまでだったか、何か悲しいことがあればずっとしくしく泣く子供だった。ある時、幼稚園の先生に「泣きぼくろがあるから泣き虫なんじゃない」とか冗談を言われて、それがすごく嫌で親に言ったことがあった。たしか「そんなこと言うのおかしい」とその先生に言ってくれたと思うけど、このやり取りの裏にはやっぱり「男の子は泣くべきじゃない」という考えがあると思う。「泣き虫」であることが非難されるのは、たぶん男の子だけだと思うし。あの出来事があってから、自分が成長(?)したのもあって、ほとんど泣かないようになった。そんなことを思い出した。

ボーイズ 男の子はなぜ「男らしく」育つのか

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