Hooney Got His Pen

映画の感想と勉強日記

韓国で大ヒット中の映画『極限職業』

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Extreme Job from Geukhanjikeob (2019)

韓国の映画館で観賞。日本ではまだ未公開。正直、リスニングにやや自信なかったですが… 理解度は6〜7割くらいかな。でも、アクション+コメディーという感じの映画だったので、わかりやすかったです。

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ヤクザの事務所の目の前にあるフライドチキン屋に、潜入捜査をすることになった刑事たち。彼ら5人組は麻薬取り締まりチーム。ライバルチームには大きく差をつけられていて、一発逆転を狙っている。

潜入捜査をしていたが、チキン屋に客が来たので仕方なくチキンを作って出してみると、これが評判を呼んで店は大繁盛。だんだん、チキン屋の経営をしているのか、潜入捜査をしているのか、刑事たち自身もよく分からなくなっていく…。そんな時、ヤクザ達は麻薬取引を拡大していて…。

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ストーリーはこんな感じ。

割とストレートなコメディなんですが、韓国では観客動員が1500万人に届きそうなほどの大ヒット。人口は5000万人。

K-POPのような洗練されたオシャレ・ポップさとはかけ離れた、泥臭いけど人情味が溢れるキャラクターたち。いい加減だけど憎めない、嘘から出た誠でいろいろ誤魔化してしまう。泥臭くて、人情味があって、正直で。愛すべき5人組は、見ていてすぐ好きになりました。

僕はやっぱり、映画に出てくるいい加減なキャラクターがどうしても好きなんですよね。『トラック野郎』シリーズの桃さん(菅原文太)とか。『スクール・オブ・ロック』のジャック・ブラックとか。『きっと、うまくいく』の3人組とか。『フル・モンティ』も好きでした。潜入捜査ものコメディーだと、『21ジャンプストリート』なんかも良かったですね。

喜怒哀楽の表現が盛りだくさんなのは韓国映画ぽいですが、この映画はもう序盤からかなりコメディーに振り切っており、分かりやすいです。あんまり何も考えずに笑って見れます。

コメディーとしてはかなりきちんと作られており、カットの切り替えで笑わせるようなシーンも多いです。ちょうど3回くらい爆笑しました。

と言いつつ、アクションシーンはものすごく本格的。めちゃくちゃ動ける俳優ばかりで感心しました。終盤は『男たちの挽歌』さながら、港での本格アクションシーンが展開されていて驚きました。こういうところの作り込みは余念がない。アクション映画としても、かなり痛快な映画として見れました。手に汗握ります。

あと、チキンは本当に美味しそう。

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[韓流]映画「極限職業」の観客1450万人超 歴代2位に

2/17時点で1450万人突破で歴代2位と。こりゃすごい。ちなみに、映画館は爆笑の渦でした。僕も声だして笑った。やっぱり映画館で声だして笑えるのっていいですね。久しぶりに映画館でコメディーを見た気がしました。

【メモ】左派ポピュリズム

最近、「左派ポピュリズム」という言葉をよく聞くようになった。「左翼~」を使う場合もあるのは、英語では"Left-wing polulism"と呼ばれるからだろう。とりあえず「左派~」で定着しかけていると思うので、「左派~」を使う。色々関連して記事とか論文を読んだので、ひとまずメモしたい。ちなみに、最近はいくつか本も出ているみたいだけど、そちらは目を通していないので悪しからず。

山本圭の寄稿

(寄稿)左派ポピュリズムという希望 山本圭:朝日新聞デジタル

最近目についた記事。山本圭政治学者 1981年生まれ。立命館大准教授。専門は現代政治理論・民主主義論。著書に『不審者のデモクラシー ラクラウの政治思想』など。)の寄稿。最近、シャンタル・ムフの『左派ポピュリズムのために』という本を翻訳した方。

www.akashi.co.jp

 

記事の中では、ポピュリズム自体にやや好意的な評価をしながら、欧米で勃興しつつある「左派ポピュリズム」の事例を紹介し、日本での事例(具体的には「薔薇マーク」)も紹介している。以下は記事からの引用でメモ代わりに。太字は引用者。

たとえば、社会正義と平等を訴える、そんなポピュリズムがあるとしたらどうだろうか? それが〈左派ポピュリズム〉である。・・・ とはいえ、元来ポピュリズムとは、既存の政党政治からこぼれ落ち、疎外されてきた人々を、ひとつの政治勢力としてまとめあげる、そのような政治手法を指す言葉である。そのかぎりで、ポピュリズムこそ真に民主主義的である、という見方も当然成り立つ。
・・・・・・ギリシャの急進左翼進歩連合(シリザ)やスペインのポデモスといった政党をはじめ、英国労働党のコービン、「不服従のフランス」のメランション、米国のサンダース、さらに最近になると富裕層への課税を訴える民主党のオカシオコルテス・・・
国や地域によっての違いがあるとはいえ、左派ポピュリズム戦略の基本線はこうだ。すなわち、このかん欧州連合や各国政府が進めてきた新自由主義的な緊縮政策によって、経済格差は途方もないほど拡大し、新しい少数者支配(オリガーキー)が生じている。中間層は痩せ細り、大多数の人々は政治的に無力化され、自由民主主義はいまや「ポスト・デモクラシー」的な状況にある。この局面において既得権益層(エスタブリッシュメント)に対抗する勢力をまとめあげ、いっそう公正で民主主義的な再分配を要求しなければならない、と。
ただし、左右のポピュリズムの区別はそれほど確固としたものではない。たとえば、フランスの極右ポピュリストとして知られる国民連合のマリーヌ・ルペンは、EUの緊縮政策に反対し、再分配の必要性を訴えているし、他方で左派ポピュリズムのなかには、戦略的にナショナリズムを活用しようとするものもある。この癒合はおそらく偶然ではない。そもそもポピュリズム戦略が有効なのは、左右の対立軸にかわって、上と下、つまりは持つものと持たざるものとの対立が先鋭化したからだ。だとすると、同じ状況の産物である左右のポピュリズムには、本来的に双子のようなところがある。自身の分身に絡み取られる、そのようなリスクはつねに存在すると思ったほうがいい。

杉田敦の短文

次は、政治学者の杉田敦の短い記事。かなり短いのでリンク先をそのまま読むのに時間はかからないけど、一応メモ。

左派ポピュリズムは可能か|生活経済政策研究所

しかし、右派がやっているようなことを左派がやっても、支持が広がるとは限らない。焦点は、右派がよりどころとしているのが、民族などの「具体的」な集団の連帯であるのに対し、左派がよりどころとしているのは、階級などの「抽象的」な集団の連帯である点である。もちろん、民族もまた抽象概念にすぎないことは学問的には明らかであるし、階級もまた十分な実体性をもっているが、一般の人々はそうは受け止めていない。
 さらに言えば、右派が、異質な存在を差別したいという人間の欲望に「寄り添う」のに対し、左派がするのは、人を差別してはいけませんという「お説教」である。差別がいけないということは、自然な感情として湧き上がってくるようなものではなく、一定の思考の結果としてしか得られない。
 要するに、情念や感情に訴えるという点では、左派は右派に比べて構造的に不利なのである。無理をして試みても、政治的に成功しないし、かえって自らの変質を招きかねない。

その後に安保法制の話から、「権力は原則にもとづいて抑制的に運用されなければ危険であるという考えは、自然な感情などとはほど遠いにもかかわらず、社会に根付いた」という話にはなるが。上に引用した部分は、本質的な指摘というか批判で重要だと思った。

欧州を揺るがす「福祉ポピュリズム」の波 : 「左翼ポピュリズム」というもう一つの動き

次は、論文。

OPAC - 龍谷大学図書館

石田徹「欧州を揺るがす『福祉ポピュリズム』の波 : 『左翼ポピュリズム』というもう一つの動き」『龍谷政策学論集』第7巻第1/2合併号(2018)、3-17頁。

https://opac.ryukoku.ac.jp/webopac/r-se-rn007_0102_002._?key=LVPLDD

短いけどかっちりした論文で、ポピュリズムの定義の仕方などの研究史的な話も満載で勉強になる。興味深かったところを引用する。

ポピュリズムへの評価が分かれる理由

・・・現代デモクラシーにおいてリベラリズムの側面(=実際的スタイル)を重視する論者、すなわち代表制や個人の権利、権力分立などをより尊重する立場に立つ者は、ポピュリズムに否定的となり、それゆえにポピュリズムをデモクラシーにとって「病理」あるいは「脅威」と捉えがちであるといえる。これに対して、現代デモクラシーにおいてデモクラシーの側面(=解放的スタイル)に重きを置く論者、つまり参加や人民主権などの意義をより強調する者は、ポピュリズムを擁護ないしその存在を肯定し、それゆえにポピユリスムをデモクラシーにとって「挑戦」あるいは「救済」として見る傾向があるといえる。以上のように、リベラリズム重視派とデモクラシ一重視派との問では、ポピュリズムのデモクラシーへのインパクトの評価は食い違っているが、現代のデモクラシーが機能不全に陥っており、それゆえにポピュリズムの登場はある意味で必然、であるとみなしている点では共通していると考えられる。(5頁)

ポピュリズムの3つの波

今日におけるポピユリズムの主要な舞台は欧州であるといえるが、ポピュリズムの神出鬼没ぶりは時間的・歴史的に、あるいは空間的・地理的に相当の広がりがある。 D.ウッズは、世界史的にみるとポピュリズムには 3つの波があったと述べている (Woods,2014)。一つ目の波は、 19世紀後半にロシア、アメリカで現れた農民ポピュリズム (agrarianpopulism)、 2つ目の波は、 1940年代から50年代にかけて登場したラテンアメリカポピュリズム、そして 3つ目の波は1990年代以降において欧州で現れている新右翼ポピュリズム (newright populism)である。

・・・第 3の波は、 1980年代以降に登場した新しい右翼のことを指す。それら政治勢力イデオロギーの中心的特徴は「ゼノフォピア」(xenophobia、外国人嫌い)である。第 2の波の反税、反財政支出などの新自由主義的な経済政策重視の立場から移民排斥や国民的伝統を強調する文化政治重視へ、また市場経済を支持しつつも反グローパリゼーション、反 EU統合へと立場が移っていった(Zaslove 2011)。・・・

ミュデは、新右翼政党をポピュリスト急進右翼政党 (populistradical right parties)と名付けながら、 2000年の時点で、それらの政党が第3の波において選挙の面でもイデオロギーの面でも最も成功した時期となったと指摘したが(Mudde.2000)、さらに2016年の論文では、それらの政党はいまや政党システムの外部にある挑戦者政党ではなく、その内部に制度化され、組み入れられた存在としてみなす必要があると述べている (Mudde.2016) 0 T.アッカーマンらは、急進右翼ポピュリスト政党が西欧において主要政党化したのかとの問いかけを行った書物において、それらの政党が1990年から2015年の聞に内閣の一員になるか、閣外協力かで西欧の17の政権の形成に関与したことを指摘している(Akkermanet aL. 2016)。・・・

第3の波の時期のもう一つの特徴は、社会主義体制崩壊、冷戦終駕後の中東欧諸国においてもポピュリスト政党が現れたことである。・・・政党の盛衰が激しい中、野党でいえば、反移民、反EUのみならず反ユダヤを掲げ、この間の選挙で安定した議席を確保している極右政党であるハンガリーのヨッピク(Jobbik)、あるいは2017年秋の下院選挙で第 3党に躍進した、日系人率いるチェコの「自由と直接民主主義」(SPD)などがその最近の代表的事例である。与党では、 2013年頃から欧州への移民、難民の流入が急増したことと、それに対して EUが難民受入にかかる割当制を決定したことが背景となって、ハンガリーポーランドにおいては、政権与党自体が西欧の新右翼ポピュリスト政党と同様のスタンスすなわち反移民・難民、反イスラムそして反 EUといった政策をとるとともに司法の独立をないがしろにする憲法改正を試みるなど権威主義体制化の方向をとるように
なっていることが注目される。ハンガリーにおけるフイデス・ハンガリー市民連盟 (Fidesz)、ポーランドにおける「法と正義」(PiS)の動き
がそうである。(6-7頁)

「左翼ポピュリズムの誕生」

第 3の波の時期を1980年代ないし1990年代から今日までも含むとすれば、 2008年後半のリーマンショックおよび2010年からの欧州債務危機以降において、従来の右翼ポピュリズムとは異なる、左翼ポピュリズムとでもいうべき新たな政治潮流が欧州のみならずアメリカにも登場したことが、この時期のさらにもう一つの特徴であ る (Stavrakakis& Katsambekisa. 2014;Moufe. 2014)。左翼ポピュリズムとして言及されるのは、当初は、経済危機の打撃を最も受けた南欧諸国において勢力を伸ばした政治勢力、すなわちギリシャの急進左翼連合 (SYRIZA)とスペインのポデモス (PODEMOS)に留まっていたが、最近では北西欧諸国やアメリカの事例にまで、拡がってきている。(7頁)

ヨーロッパ、アメリカの事例として挙げられているのは、サンダース(米)、メランション(仏)、コービン(英)。

右翼ポピュリズムと左翼ポピュリズムの違いは杉田敦の定義と重なるが、こちらの方がより詳細なので、一応引用する。

まず何よりも、両者とも社会を純粋な人民対腐敗したエリートというこ項対立の構図でみるとともに、政治を人民の一般意志の表現として捉えている点では同じである。だが、その人民を、右翼ポピュリズムは文化的な観点から国民(nation) ないしは民族 (ethnos) として把握するのに対して、左翼ポビュリズムは経済的に捉えて階級 (class) としておさえるところに違いがある。そこから、前者では、文化的伝統を共有し同じ集団の構成員であるという共属意識が重視されるところから、外国からの移民や難民は人民からは排除される。後者では、人民全体の意を体するものとして虐げられた階級が位置づけられ、それゆえに虐げる側の階級すなわちエリートは人民から排除されるということになる。次いで、どちらの勢力もグローパリゼーションおよび欧州統合といった脱国家(国民)化の動きには反対の立場をとっている点では共通している。しかし、右翼ポピュリズムは政治文化的争点を重視し、民族的文化的な一体性、同質性を強く求めるところから、欧州統合や移民の流入による一体性、同質性の破壊に抗して国民的アイデンティティ、国民的政治共肉体、国民国家の擁護を主張する。他方、左翼ポピュリズムは、社会経済的争点に重きを置き、経済的な平等性を追求するところから、新自由主義的なグローバル化EUによる緊縮政策などに反対して国民的福祉国家を擁護したり、囲内経済部門や圏内生産現場の権利を守ろうとしたりする、といった違いがあるのである(Kriesi. 2014)。

・・・つい最近まで、支持層の研究では、かつてであれば左翼政党を支持した階層が今日ではなぜ右翼ポピュリスト政党を支持するようになったのかという疑問に答えるものが多かったが、その後研究がさらに進んで、それら同一の経済的条件にある人々がなぜ左右両翼のポピュリスト政党へと支持を分かつのかをあきらかにする研究も出てきている。その中で、投票の動機づけとして、平等や利他主義、平等のための政府介入の肯定などといった価値を受け入れているか、否かによって、前者の場合は左翼ポピュリスト政党へ後者の場合は右翼ポピュリスト政党へと支持が向かうこと、また学歴の高低が移民問題への態度に影響を与え、学歴が高い場合は外国人への偏見が少なく、低い場合は自民族を中心に考えがちであるとの違いをうみ、それが左右のポピユリスト政党への支持を分かつことになっていることなどがあきらかにされてきている (Rooduijnet al.. 2017 : Visser et al.2014)。

・・・

…何よりも左翼ポピュリズムは社会経済的次元で「貧困者 (the poor)」を包摂すること、そして右翼ポピュリスムは社会文化的次元で「外国人 (aliens)」を排除することが主たるテーマとしていることから、ミユデらは、右翼ポピュリズムを排除型ポピュリズム (exclusivepopulism)、左翼ポピュリズムを包摂型ポピュリズム (inclusivepopulism) と特徴づけることができるとしている (Mudde& Kaltwasser. 2013)。(8-9頁)

この論文では「福祉ポピュリズム」という概念が使われているが、定義や詳しい議論は元の論文でみてほしい。最後の部分で日本についても言及されており、この部分もなかなか興味深い。

左翼ポピュリズムへの支持の広がりが欧州の多くの地域、さらにはアメリカにまで及びつつあることの一つの要因が反緊縮政策の採用にあると考えられるとすれば、日本の状況はいささかねじれているといえよう。安倍政権の経済政策であるアベノミクスには規制緩和構造改革といった新自由主義的な政策も入っているが、その重要な柱は欧米基準で、いえば主として中道左派、左翼勢力の側が主張する量的金融緩和政策である。アベノミクスが現実の経済に対して実際にどのような効果をもったかについては評価が分かれている。だが、経済成長率や雇用率、失業率あるいは若者に関わる就職率などといった経済指標の数字を見るかぎり、民主党前政権時代と比べて安倍政権誕生以降に経済は好転していったようである。また、選挙結果を見るかぎり、有権者は景気や社会保障を投票の際に重視していて、特に若年層の多くは安倍政権下の経済状況を肯定的にみて得票したであろうことは確かなようである。欧州の場合は、緊縮政策対反緊縮政策といった形で経済をめぐる争点を明確にできたことが左翼ポピュリズムを躍進へと導く要因となったといえるだろう。これに対して日本では、安倍自民党が、選挙の際には経済政策を前面に出して憲法や安全保障に関するタカ派的政策は抑制するという巧妙な戦術をとる中で、野党は憲法、安全保障問題を中心の争点、にして対決を挑もうとしたものの、経済政策については十分説得的な対案を提示できないままに終わってしまい、結局のところ安倍自民党に勝利をもたらすことになったのである。ここでは、立憲民主党を左翼ポピュリズムの日本における現れとの設定のもとに議論を進めたが、そのことの妥当性はともかく、この党を含む野党が今後勢力の伸長をはかっていくためには反緊縮の経済政策とそれに連関する社会政策を首尾一貫したものに創り上げることが不可欠であるといえるであろう。それは、欧州における左翼ポピュリズムの昨今の躍進が示唆していると思われる。(13-14頁)

ヨーロッパのポピュリスト政党あれこれ

他の論文も見てみた。けっこう参考になる部分も多かったけど、ヨーロッパの政党の違いについて短く書いた部分を引用。

イボンヌ・ドンダース「ヨーロッパにおける多様性 : 多元主義からポピュリズムへ」『未来共生学』5(2018)、 pp.87-.106。

https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/68209/MKG_05_087.pdf

このようにヨーロッパではポピュリズムのトレンドが広がっているのが見て取れるが、実は国によってかなり事情が異なる。例えば、五つ星運動(イタリア)、ポデモス(スペイン)、急進左派連合ギリシャなど、南欧のポピュリスト政党は、急進左派から生まれたものである。彼らはとりわけグローバル化が社会や経済に与えた負の効果に対して反対を唱えている。それに対して、北欧や東欧のポピュリスト政党は右派であり、移民、特にイスラム諸国からの流入に反対するなど、国民のアイデンティティや文化の保持を強く訴えている。さらに、ノルウェーの進歩党は新自由主義的な主張をするのに対して、フランスの国民戦線は弱者の社会的経済的保護の充実化を訴えている(NACIA 2017: 36)。(99頁)

この論文で多く引用されている、オランダのシンクタンク的なところが出したレポートが参考になりそう。時間あったら読もう。

aiv-advies.nl

 

セッション22での議論

以前、TBSラジオの番組「セッション22」でもポピュリズム特集が組まれたことがあった。その内容はシノドスで読める。

synodos.jp

以下、「左派的なポピュリズム」についての言及を引用。

荻上 ポピュリズムの中にも、保守的なポピュリズム、あるいはリベラル的なポピュリズムというものは存在するのでしょうか。あるいは、そうした政治的思想の枠組みとの繋がりは薄いのでしょうか。

 

水島 やはり、「エリートの抵抗を排して人民の意思を実現するべき」という立場なので、いわゆる保守主義リベラリズム社会民主主義などと比べると、思想的には弱いですね。ただ現実には、ポピュリズムの中でも色合いの違いはあり、特に右派的なポピュリズムと左派的なポピュリズムは、同じポピュリズムでもだいぶ違います。概して言えば、ラテンアメリカでは左のポピュリズムが強く、ヨーロッパでは右のポピュリズムが強いと言えます。

 

荻上 現代のヨーロッパで考えると、例えば移民問題や難民問題に対してアンチを唱える、あるいは欧州連合のあり方を批判する、そういった主張によってポピュリズムが右派的になっていくということでしょうか。

 

水島 そう思います。一方、ラテンアメリカの場合は、今もなお圧倒的な所得格差があるため、エリート層に富と権力が独占されている、それを再分配せよという左派的な方向性になりがちなのです。

 

ヨーロッパ、特に北部の発達した福祉国家では、一部の特権階級の独占する富を再分配に回せという主張は広い支持を受けにくい。他方、福祉国家のシステムの中で恩恵を被っていると思われる移民や難民の人びとが、特権階級として認識される現象が起きます。日本の場合も生活保護批判に代表されるように、福祉国家の保護の対象となった人が特権階級扱いされがちですよね。

・・・

水島 近年のヨーロッパでは、数としては、極右ではなくリベラルな起源を持つポピュリズム政党も多いのです。例えばオランダのヘルト・ウィルダース議員が党首を務める自由党などは、もともと自由を基本的な価値として設立された党とされており、その自由尊重の価値観に基づいてイスラムを批判する、という立場を取っています。歴史修正主義のような「重たさ」もこの党には感じられません。

水島さんは中公新書でずばり『ポピュリズムとは何か』という本も書いていたり、オランダ政治の専門書も出している。どちらも軽く確認してからは積読状態だけど…。 

反転する福祉国家: オランダモデルの光と影 (岩波現代文庫 学術 398)
 

 

 最近でも、中央公論新社から本が出ていた。こちらも面白そう。

 

あと、先ほどの記事でヨーロッパ政治が専門の遠藤乾さんの説明が分かりやすかった。

荻上 遠藤さんはヨーロッパ政治がご専門ですが、ヨーロッパにおける現代のポピュリズムの役割や位置づけ、評価についてどうお感じになっていますか。

 

遠藤 ヨーロッパ社会に広がるポピュリズムは、自由や平等というリベラルな理念を軽視する傾向があり、そこが将来的にやはり心配なところです。ここでいうリベラルとは、井上達夫氏が指摘するところの「反転可能性」、つまり自分と他者が反転したとしても受け入れられるかどうか、ということです。その点で、国内外の「敵」を可視化して、主流国民との越えがたい溝を強調するポピュリズムの手法には懸念が残ります。

 

ポピュリズムとデモクラシーには親和性があり、どちらも「置き去りにされた人びと」の声をすくい上げるという大事な機能があります。ただ、どういうやり方ですくい上げるのかは検証しなければいけません。特に、すくい上げるリーダーがどういう社会を作ろうとしているのかは、十分に検証する必要があります。

 

今回はこのあたりで。やたら引用ばかりの長い記事になってしまったけど、個人的な整理メモとして。あんまり整理されていないような気もするけども。

 

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【メモ】Brexit, イギリス社会の変化

朝日新聞オピニオン欄に掲載された、英社会学者のインタビューが興味深かったのでメモ。

(インタビュー)迷走の英国、どこへ 英リーズ大学教授、エイドリアン・ファベルさん:朝日新聞デジタル

社会学者で欧州社会論の第一人者であるエイドリアン・ファベルへのインタビュー。話題は多岐にわたっているけど、特に重要だと思った点を以下に列挙します。太字部分は僕が付けました。

労働党、特に「ニューレイバー」の下での多文化主義からブレグジット

「英国では2000年代、ブレア労働党政権の下で、多文化主義に向けて社会が動き出すべきだ、とする意識が強まりました。『多民族国家』こそが英国の将来像だと位置づけられたのです。当時の進歩的知識人たちは、英国がもはや固有のアイデンティティーを有する国家というより、外部の個性も受け入れて共存する米国的な存在になるべきだと考えました

「それはある意味で当然です。英国は、日本のように強固な特徴を持つ島国である一方、『太陽が沈まない』といわれた旧植民地帝国でもあったからです。帝国内各地から渡ってきた多数の非白人が英社会の一部を構成するようになっていた。英国は、実際には『イングランド伝統文化を抱く白人社会』などではなかったのです」

英国のEU離脱はつまり、このような状況に対する反動でした。確かに、繁栄の恩恵が国内に均等に割り振られたわけではありません。恩恵を受けなかった地域では排外主義が高まりました」

信じがたいのは、あれほど評価してきた多文化主義を、今や誰も口にしなくなったことです。それどころか、イングランド白人ナショナリズムの台頭が懸念されるほどになってしまった。イングランドの地方都市にいくと、英国旗ユニオンジャックではなく、イングランドの旗セントジョージ・クロスが教会の塔にはためいています。この旗は、黒人やアジア系、ポーランド系を含まない英白人社会の象徴なのです」

国民投票、メイ首相の政策について

「52%がEU離脱を、48%が残留を求めました。このような結果が出たら、双方の立場を調整するのが当然です。しかし、国民投票の経験が浅い英国は、愚かにも投票結果をもって議論の打ち止めだと考えてしまいました

「メイ首相は国民投票によって表明された52%の意見に『最高主権』を見いだし、固執してきました。英国が培ってきた議会制度でもなく、現実的な国内統治でもなく、国民投票による民意だけを重視する。これは危険な発想です

グローバル化に取り残された労働者」という見方は誤り?

「『ロンドンなど大都市のリベラルなエリートに対して、グローバル化や欧州統合の恩恵から取り残された地方の普通の人々や労働者たちが反発している』という発想ですね。一般的に、このような『落ちこぼれ組』を、主に白人貧困層が占めて、今回、離脱に投票したのだと信じられています」

 「でも、その見方は、現実とは合致しません。労働者階級にロマンチックな幻想を投影し過ぎです。私たちの調査によると、労働者階級の多くは白人ではなく、多様な民族で構成されているのです。彼らはパキスタンに親戚がいたりと、すでに十分国際化されている。労働者が単純にグローバル化に反対するわけではないのです。むしろ、国家の枠にとらわれがちなのは、事務職などのホワイトカラーやちょっとした富裕層といった、見捨てられてもいない人々では、と推測できます」

 「国際的でリベラルなエリートに対する反発は、英国のEU離脱派だけでなく、例えばフランスの『黄色いベスト』運動にも見られます。かといって、多文化で多様な社会を目指す意識を捨て去り、ナショナリズムに回帰しても、何ら問題が解決するわけではない。その試みは過去失敗したし、今後も失敗します。何かを進めようとすると、ナショナリズムとは異なる理念を探るしかないのです

 欧州統合について

「鍵となったのは1989年の『ベルリンの壁崩壊』です。冷戦が終わり、東西に分かれていた欧州の歴史的な統合が実現しました。これは、理想主義者にとって極めて重要で象徴的な出来事になりました。ユルゲン・ハーバーマス氏、故ウルリッヒ・ベック氏といったドイツの思想家たちはこれを機に、ある種の『欧州アイデンティティ』と呼ぶべきものが生まれる可能性に賭けました。欧州は、共通の理想を抱く市民が集まる場となる、と考えたのです

「もちろん、そのような市民がいなかったわけではありません。ただ、ハーバーマス氏の理論は、コミュニケーションが理想的に成立して初めて有効です。公共の場で知識を披露し、議論がなされ、論争が盛り上がり、専門家の意見を参考にし、最後には最も適切な解決法に至る。ただ、それは特定の条件下でしか起きえません」

「みんながテレビで同じ番組を見ていた1950年代とか60年代とかなら、これが可能だったかも知れません。ただ、ソーシャルメディアが発達し、人々が小さな集まりをあちこちでつくって話し合う現代では、そのような議論を交わす公共空間自体が存在しないのです。この状況で欧州各国を欧州連邦として一つの国家にまとめるのは、現実的ではありません」

――では、何を目指したらいいでしょうか。

 「欧州統合が大きな利益を生んでいることに、議論の余地はありません。一方で、国家への帰属意識、国家アイデンティティー、国家安全保障へのこだわりも存在する。重要なのは、この両者の間のバランスです。英国も本来はこのような均衡を図るべきでした」

 「それは、決して難しい営みではありません。例えばデンマークを見ると、彼らは共通通貨ユーロに参加しない一方で、EUを脱退する気もありません。彼らは、EUを存分に利用しています。国家アイデンティティーを失うことなく、欧州各地を自由に移動する。欧州が統合されても国家は消えない。そこに矛盾はありません」

感想

オランダ留学中に欧州統合についての概論的な授業を取っていたことがあるので、「欧州アイデンティティー」(European Identity)とかハーバーマスの公共性の話とか、個人的には懐かしい響きでした。

やはり衝撃的なのは、「多文化主義を誰も口にしなくなった」という部分ですね。1年半ほど前にロンドンに行ったとき、一番驚いたのはその多文化性でした。地下鉄に乗っていても、それこそ本当に色んな人種や民族の人々がいます。僕の泊まっていたホテルは東ロンドンにあり、その地域はバングラデシュの人がとても多い地域でした。

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東ロンドンのマーケット

マーケットはバングラデシュ系の人用の食材や衣類が立ち並んでいた。

 

バングラデシュ料理のレストランにも入ってみましたが、かなり安くて美味しかったのを覚えています。

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料理名は分かりませんが、すごく美味しかったバングラデシュ料理

あと、去年ロサンゼルスに行ったのですが、やはりその多文化主義に驚きました。「ロンドンと同じ」というとやや語弊がありますが、色んな人種・民族が共生している様子はやっぱり似ていました。そのような社会で「多文化主義を誰も口にしなくなった」というのは、いったいどのような事態なのか。驚きます。「統合」とか「包摂」とか、そういった概念は説得力を失ったのだろうか。

それと、「労働者階級の多くは白人ではなく、多様な民族で構成されているのです。彼らはパキスタンに親戚がいたりと、すでに十分国際化されている。労働者が単純にグローバル化に反対するわけではないのです」という部分も重要だと思いました。問題は単純ではないのだなと。

最近は個人的にもヨーロッパ政治への関心が高まっているので、引き続き色々勉強したい。

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