Hooney Got His Pen

映画の感想と勉強日記

宮崎駿『君たちはどう生きるか』


 新宿にあるTOHOの映画館で、宮崎駿の最新作『君たちはどう生きるか』を見てきました。いやはや、すごかった。82歳のお爺さんがおそらく最後に作るであろう映画が、まさか前衛映画とは。
 ストーリーはうまく書けない。起承転結のあるような話じゃないし、そう作っていない。というか、ストーリーでみる映画じゃない。そもそも、映画はそのように見るものじゃない。お話を追うだけなら、それは小説でいいし、連続ドラマでいい。なぜ映画を作るか。それは映画でしかできない表現をするためだ。映画が開始して10分くらいで僕はそう思い、ストーリーを追うのはやめた。
 舞台は戦時下の東京から始まる。東京空襲。火の中を逃げ惑う主人公の男の子、眞人(マヒト、名前の付け方は天皇家から着想を得たか)。この描写が、凄まじい。デジタルアニメーションの可能性を最大限に引き出した描写。そして、メラメラ燃える火の中を疾走する主人公は美しい。アニメーションとして、見ていて気持ち良いのだ。この辺りは、前作『風立ちぬ』と同様、戦争描写をアニメとして気持ちよく描いてしまう、平和主義者でありミリオタである宮崎駿の、表現者としての業が表れていると感じた。
 主に描かれるのは、「向こう側の世界」である。こちら側の世界ではない、地獄のような天国のような、あいまいな世界。それは「あいまいな日本」(大江健三郎)という感じもする。この向こう側の世界が、この上もなく見ていて面白い。イマジネーションの世界。宮崎駿の想像力かくあり。とにかく見せつける。他のアニメーターを震え上がらせるような世界観。宮崎駿がやりたいこと全部やったという感じ。あれを映画館で、大画面と大音響で見る幸せ。この人はやっぱりまだまだ現役だ。凄すぎる。
 「向こう側の世界」には、細かい描写が多いし、色んなイメージがふんだんに詰め込まれている。どれをとっても面白い。産道のメタファーである光の道。無数の扉。『天空の城ラピュタ』を思わせる落下と浮上。
 何より感動的なのは、主人公の選択だ。最後はユートピアニズム(向こうの世界)じゃなくて、リアリズム(現実の世界)に戻って来る。理想主義を排すんですよね。
 面白いのが、戦争で焦土となった東京は見せないところ。その代わり、向こう側の世界がガラガラと崩れ去っていく。それは「大東亜共栄圏」というある意味でのユートピアニズムが崩れ去って、小日本主義石橋湛山)のもとで生きていく戦後日本にも重なる。この映画は、戦後民主主義の子どもとしての、宮崎駿渾身の作品だと思った。だから、主人公が産道のメタファーであるところの光の道を通って、生まれ直す、再誕生(リ・バース)するのは、まさに戦後日本が再誕生することとも重ねられているわけです。
 宮崎駿は1941年生。太平洋戦争が始まった年に生まれている。そして、その人生は戦後民主主義、戦後日本のあゆみとそのまま重なる。その彼が最後にたどり着いたのが、戦争をメタファーとして描いた『君たちはどう生きるか』だった。しかも、とっておきのアニメーションの快楽をふんだんに盛り込んで、差し出してくれた。
 この映画は、答えを与えない。あくまで問うのだ。宮崎駿はこう言っていると思う。「自分はこうやって生きてきた。では、君たちはどう生きるか」。そう、だから、この映画のタイトルは「君たちはどう生きるか」なのだ。我々は宮崎駿(であり吉野源三郎)から、問われている。「君たちはどう生きるか」と。そういう映画でした。ものすごくよかったです。

 宮崎駿は我々に要求している。それを、戦後すぐのタブラ・ラサ(白紙)で思考しろ。「君たちはどう生きるか」と問え。宮崎駿は自らの人生を好きなように生きたんだと思う。こんなに素晴らしいアニメーションを最後に残してくれた。僕も、できるか分からないけど、自分のやりたいことをやりたい。そんな勇気をもらえた。

今後2年の目標

 僕は当面の目標として、記憶論の専門家になりたい。「 記憶論といえばあの人」という旗をひとつ立てたい。
 海外の理論を積極的に吸収したい。  英語圏の記憶論とのコミュニケーションを図りたい。 そうすべきであると思う。その当たり前をやりたい。
 当面は、実証研究と理論研究を並行して進める。 実証研究の成果はどんどん論文としてアウトプットしていく。 すでに2本分書いたので、それは2024年2月末までに2本投稿する。 実証研究として、あとは2本書くつもり。それは夏に1本、 秋に1本投稿する。それらをまとめて博士論文にする。
 理論研究の成果は、秋の学会でひとつ発表したい。 秋の発表は学説史的な理論研究になると思う。その発表をもとに論文を書く。 それは今年の暮れから来年頭くらいに投稿したい。 インパクトのある論文にしたいと思っている。理論研究の成果は、 博士論文では理論パートとして1つの章にしたい。

 三年で卒業するとして、博士論文の提出期限は2025年11月である。博士論文は日本語で書く。

 「 3年で書くのって可能なん?」と聞かれて、考えてみた。 僕はまずこのテーマについてはここ10年間くらいは関心を持って 議論を追ってきた。さらに博士入学前の1年間は研究にあてた。 なので、厳密に博士課程の3年間だけでやった研究ではない。 なので、 確かに外形的には3年で博士論文を書いたことになるものの、 実質的には3年以上かかっている。 だから問題なく書けると思うし、心配ないと思う。
 英語で論文を書きたい。日本語ですでに2本分書いたが、 それを短くまとめて、理論研究との接続をして、 英語論文としてまとめたい。 研究成果をまとめるだけなので、問題なくやれると思う。 論文の出版までは1年以上はかかるので、 まずはスタートラインに立ちたいと思う。
 この1年のテーマは、論文を2本以上出版することである。 とにかく投稿していく。落ちたら次の雑誌に投稿する。 とにかくこの1年は2本以上。 それを第一の目標にして研究を進めたい。

中長期の目標

 目標をたてよう。今後3年間から5年間の目標だ。
 将来は大学教員になりたい。 そのためには専門家になる必要がある。専門家、 それはその分野に一番詳しい人ということだ。 もちろん日本という限定はつくが。少なくとも日本で、 その分野では一番にならないと、大学教員にはなれないと思う。
 では、なんの分野の専門家になるのか。
 記憶論である。メモリースタディーズ。欧米では盛んである。日本では英語圏の議論があまり参照されていない。
 ここに僕の勝機、チャンスがあると思う。
 この分野で、英語圏のトップジャーナルは3つある。 ここに論文を載せたい。 そうすれば、日本では他に例がない業績を作ることができる。
 だから、話は簡単だ。
 記憶論のトップジャーナルに英語で論文を出版する。 それが今後数年間の最も大きな目標となる。論文を出版できれば、 大学教員への道は一気に現実のものとなるだろう。 それに向けて動き出そう。